「西機関・ビルマを征く」を読み解く ビルマ戦記を追う<1>

西日本新聞 文化面

 戦記を五十作紹介するといっても簡単ではない。私も小説を書く人間である。なるべく読者の興味をそそりたいし、できれば統一感を出したい。悩んだ結果、ビルマ戦記で一貫することにした。

 なぜビルマか。緒戦から終戦まで二個の久留米師団がいたからである。久留米師団が福岡県等の青壮年で編成されていた以上、西日本新聞の読者との繋(つな)がりは薄くない。というわけで、まずは久留米第十八師団に属していた西正義氏の「西機関・ビルマを征く」を取り上げたい。

 西氏は昭和十三年に久留米騎兵第十二連隊に入り、終戦時は中尉、最終階級は大尉だった。北部ビルマのフーコン谷地では宣撫活動や情報収集に従事し、その過程で現地住民の生活を学び、言葉も覚えている。

 連合軍の反攻開始前のフーコン谷地が書かれている点で本書は貴重なのだが、特筆すべきは萃香園(すいこうえん)の芸者さんが慰問に訪れた記述だろう。本書では「翠香園」となっているものの、ホテルとして今も久留米市に存在するあの萃香園である。芸者さんの演芸に西氏も部下たちも大いに癒(いや)されている。

 それは図らずも、のちの苦しい戦いとの対比になっている。フーコン谷地からの撤退時には現地住民を避難させるよう命じられ、西氏は敵と交戦しつつこの難しい任務をこなす。やがて訪れる住民との別れでは涙を誘われ、戦後に果たされた再会で心を救われる。数多いビルマ戦記の中でも余韻が独特な一冊である。

 ちなみにフーコン谷地における西氏の活動は当時の全国紙でも紹介されたという。その記事は昭和十八年四月四日の西日本新聞にも掲載されている。残念ながら本人に取材した記事ではないが、内容からは従軍記者の熱意が伝わってくる。縮小版で先達の仕事を確認するのも、あの戦争に関心を持つ記者の皆さんにとっては有意義だろうと思う。
 (こどころ・せいじ、作家)

 ※フーコン谷地…ビルマ(ミャンマー)北部、インド国境に近い地。現地語で「死の谷」を意味する。

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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