造船の街、観光地に再生 歴史活用、街角のアート 住民参加、にぎわい再び 釜山市影島

西日本新聞 国際面 前田 絵

 かつて造船業で栄え、韓国の近代化を支えた釜山市の影島(ヨンド)。近年、造船業の陰りとともに人口が減少し、往時の活気を失っていたが、地域の歴史と芸術を融合させた再生事業を機に、毎月約千人が訪れる観光スポットとしてよみがえった。 

 釜山市繁華街の南浦洞(ナンポドン)と狭い海水路を隔てて目と鼻の先の対岸にある影島の大平洞(テピョンドン)。8軒の船舶修理工場をはじめ約260の船舶関連会社や民家が入り交じる。港には大小の船が係留され、潮の香りと機械油のにおいが漂う。金属をたたいたり、溶接したりする音が遠く近く、響く。

 大平洞は「カンカンイ村」とも呼ばれる。「船に付いた貝やさびを金づちで落とす時の音がその由来。私が小学生の頃はもっとカンカンと音が響いてうるさかった」。案内役の文化観光解説士、朴敏花(パクギョンファ)さん(64)が懐かしむ。船の部品を積んだトラックや作業員が行き交う一帯を歩くと、美術作品が次々と現れた。

 工場の壁に村の年表と金づちをかたどった作品が貼り付けられている。岸壁に仕掛けられた作品は干満差で巧みに動く。見上げるほど巨大なアパートの壁に描かれたのは往時、金づちを振るって働いた「カンカンイアジメ(おばさん)」だ。電柱には漫画が連作で描かれ、たどって歩けば物語が追える。

 作品数は30以上。作家も韓国のほか日本やドイツ、シンガポールなど多彩だ。再生事業を機に影島に移住したという音響作家鄭萬英(チョンマンヨン)さん(48)は「作品は村にあることで意味を成す(空間全体を体験する)インスタレーション芸術。村全体が博物館だ」と話す。

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 韓国の造船業は日本統治時代の1912年、朝鮮半島で初めて影島に設立された近代式造船所に始まる。影島では戦後も造船業が引き継がれ、最盛期の70~80年代には人口も20万人を超えた。だが97年のアジア通貨危機や新興地域との競合などにより不振にあえぎ、人口は現在、約11万7千人と半減した。

 釜山市は2015年、街を文化で活性化する「都市再生プロジェクト」に大平洞を選定。事業は16年5月から18年8月まで行われ、官民で設立した「カンカンイ芸術村事業団」(現在の影島文化都市事業団)が推進した。地域の歴史を紹介する博物館を建設。国内外の作家の作品を街のあちこちに展示し、港には引き船を改造して現代芸術作品を展示する「体験館」も整備した。

 事業団の李惠美(イヘミ)事務局長(36)は「住民と信頼関係を築くのが一番大変だった」と振り返る。当初は「観光客は仕事の邪魔だ」と造船関係者から苦情が寄せられたという。

 事業団は住民と話し合いを重ねる一方、住民の要望を聞き取り、街灯や公園、ベンチなど暮らしの需要と芸術性を調和させた作品の制作を作家に依頼。作家側にも自ら住民と対話して作品制作に生かす動きが生まれた。また住民を「文化観光解説士」として育成。展示作品を住民たちが維持管理する仕組みもつくった。事業団の李承旭(イスンウク)総監督(50)は「新しい建物を建てて終わりではなく、住民同士のつながりを強める活動を行ってきた」と強調する。

 住民側にも変化が表れた。18年、自治会だった「大平洞村会」を社団法人化。観光客向けにカフェを開設し、今年5月には遊覧船の運営も始めた。靴職人だった朴基英(パクギヨン)さん(65)はバリスタの資格を取得し、カフェに立つ。「この年になってカフェで働くなんて思いもしなかった。若者が大勢来るので週末がにぎやかになった」

 同会の李永完(イヨンワン)会長(68)は「街はきれいになり、力仕事を恥と思っていたカンカンイアジメも誇りを持つようになった」と話す。

 事業団は取り組みを影島全体に広げる考えだ。李総監督は「(事業で)住民の自尊心が高まった。暮らしや歴史を守りながら、取り組みを進めたい」と話した。

(釜山・前田絵)

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