聞き書き「一歩も退かんど」(7) 小さな“冤罪”で骨折 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 前回まで「踏み字事件」が発生した3日間の一部始終を述べました。警察官が取り調べで肉親の名前とうその言葉を書いた紙を無理やり踏ませる…。本当にひどい話ですが、きょうからしばし事件から離れたいと思います。読者の皆さんに私がどう生きてきたかを知ってもらえれば、買収なんかする男じゃないと分かってもらえると思うのです。生い立ちから一切合切をお話しします。お恥ずかしい限りですが、しばらくの間、おつきあいください。

 私は終戦直後の昭和20(1945)年11月2日、現在の鹿児島県志布志市志布志町内ノ倉に、農家の長男として生まれました。畑で主に作るのはサツマイモ。皆さんがお好きな焼き芋とは違って、外見も中身も白く、デンプン採取を目的にした品種です。食べてもおいしくありませんよ。あと牛を3頭育てて、米や麦も作っていました。まあ、鹿児島特有のシラス台地の典型的な畑作農家ですね。

 私は3人きょうだいの中の男1人でしたので、小学校に上がると畑を手伝わされました。春は来る日も来る日もイモの苗植え。機械などありません。苗の重い束を脇に抱え、一本ずつ手植えして土をかぶせます。腰が痛くて手を休めると、父の栄三に「それじゃ日が暮るっど」とどやされます。すると、見かねたご近所さんが隣の畑から手伝いに来てくれました。

 通学路はうちの畑の脇を通ります。ある日の学校帰り。土手に隠れながら通過しようとしていると、畑の方から父が友達に「うちの幸夫はまだけ?」。私は口を押さえて手を振って「言うな」と懸命のジェスチャーをするのですが、友達は「ここにおるよ」と指さすのです。そのたびに、畑へと引っ立てられました。

 そんな父は曲がったことが大嫌いな性格。私が小6の時、ちょっとした事件が起こります。いとこの女の子が「幸夫ちゃんがラムネ瓶のゴムを外した」と父に言いつけたのです。ゴムがないと瓶を返せないためです。私のはもともと外れていて“冤罪(えんざい)”だったのですが…。そう言うと、父は「うそをつくな」とさらに怒ります。牛小屋の柱に後ろ手にくくりつけられ、竹ぼうきがささくれ立つほど尻をたたかれました。その時、かばった左手に激痛が。

 父が慌てて私を自転車で病院に連れていくと、医師は「骨折ですな」。以来、父は私をしかる時、きせるで頭をコツンとするだけになりました。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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