杉田久女、新発見の書か 因縁の虚子の句、深まる謎

西日本新聞 ふくおか都市圏版 中野 剛史

 「清艶高華(せいえんこうか)」とうたわれた作風で、女性俳人の先駆けとなった北九州市ゆかりの杉田久女(1890~1946)。「自宅に久女の署名入りの書があるが、ただ1句だけ、高浜虚子の作品が含まれている」と同市の男性から特命取材班に連絡があった。虚子と久女といえば師弟である一方、晩年の久女は虚子により俳句雑誌「ホトトギス」から除名された因縁がある。2人の関係を読み解く新発見となるかも-。北九州へ向かった。

 書は長さ約60センチ。久女の代表的な句である「谺(こだま)して 山ほととぎす ほしいまま」など24句が繊細な筆遣いで書かれ、最後に署名がある。ところどころが墨でにじみ、年季を感じさせる。真ん中にある句が目を引く。「子規逝くや 十七日の 月明に」。正岡子規の死に立ち会った虚子が詠んだ有名な句だ。

 書の持ち主は同市の医師、小串俊雄さん(81)。約20年前、同じく医師の故波多野峰夫さんからもらったという。波多野さんの両親が久女夫妻の仲人で結婚、その縁で波多野さんが受け継いだそうだ。「当時、除名処分などの影響で北九州でも久女の評価は低かった。医師会の懇親会で、擁護論を熱弁していたら、波多野先生が共感してくれてね」と小串さんは振り返る。

 書にある24句について調べると、最も新しい句は久女全集で1935年以後の作品とされる「寸陰を 惜しみ毛糸を あむ子かな」だった。横浜で詠まれた3句の一つ。時間を惜しんで編み物に精を出す娘の姿を詠んだ。37年、久女の長女が結婚し、久女も上京している。その頃に作った句だろうか。となると、書の「子規逝くや」は36年の除名後に、久女がつづった虚子の句ということになる。

 書を専門家に見てもらった。久女研究の先駆者である増田連さん(89)=同市=は違和感を口にした。久女の署名だ。「久」の文字の崩し方が従来と違うと指摘。虚子の句についても「あまりに有名な句。わざわざ久女がこれを選ぶだろうか」と不思議がる。

 絵画や小説にもたけた久女。特に書は「アーティスティック」(北九州市立文学館の中西由紀子学芸員)とも称される。「真実の久女」などの著書がある俳人の坂本宮尾さんは「『能筆』と呼ばれた久女にしては…」と疑問を呈し「真贋(しんがん)ははっきり言えない」とした。

 一方で、来歴はしっかりしている。波多野さんの親族によると、波多野さんの両親が結婚したのは1923年頃。母親は旧小倉中の初代校長の長女で、同校の美術教師だった久女の夫が仲人を務めたようだ。結婚後も久女夫妻との交流は続いていた。「久女さんは本当にすてきな女性だったそうです」と親族は語る。

 「子規逝くや」は子規の魂が昇天していく様を描いた句だった。仮に除名後の久女がこの句を書いたとすれば、それはもう交わることはないだろう師への思いを込めたものだったのかもしれない。(中野剛史)

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