「宮崎の沖縄」エール 戦時中に多数疎開、復元に期待

西日本新聞 社会面 古川 剛光

 那覇市の首里城火災から一夜明けた1日、九州でも悲しみの声や早期復元を願う声が広がっている。太平洋戦争末期、多くの沖縄県民が疎開した宮崎県には「リトル沖縄」として知られる街があり、思いは強い。那覇市と姉妹都市協定を結ぶ県内自治体も募金箱を設置するなど支援に乗り出した。

 宮崎沖縄県人会会員83世帯のうち73世帯が住み、「リトル沖縄」とも呼ばれる宮崎市波島地区。住宅のあちこちの門に琉球諸島の守り神シーサーが立つ。10月31日早朝、ラジオでニュースを聞いた山内武さん(81)は「信じられなかった。首里城は沖縄県民の魂だ」と肩を落とす。

 波島には、戦中戦後、沖縄県民約300世帯が移り住んだ。山内さんも1943年、沖縄県与那原町から母、弟とともに波島に疎開。沖縄に残った父と祖母は行方知れずとなった。戦後、沖縄県疎開者の「琉球漆器」の職人から技術を受け継ぎ、「宮崎漆器」の職人として波島で46年間働いたが、「離れているからこそ古里への思いが募る。一日たりとも沖縄のことを忘れたことはない」。

 疎開後、3度沖縄を訪問した。昨年10月末の首里城祭に合わせ、首里城を初めて訪れ「美しい城だ」と感激した。現地で配られた正殿をデザインしたうちわを大事に持ち帰り、自宅に飾っていた。漆を扱った職人時代の経験から「漆は燃えやすい。漆塗りの正殿は火の回りが早かったのだろう」と推測する。

 「沖縄県民は戦災で全て失ったが、幾多の苦難を乗り越えて復興した。首里城再復元へ一日も早く出発するべきだ。再び完成したとき、沖縄県民に何倍もの力を与えてくれるはずだ」とエールを送る。

 那覇市と姉妹都市協定を結び、文化交流が続く宮崎県日南市は1日、市役所など2カ所に募金箱を設置した。寄付した主婦は「気持ちだけでも」と話した。

 宮崎沖縄県人会の崎原秀和会長(71)は「移住1世の高齢者ほど悲しみが深い。県人会の役員会でも何かできるか話し合いたい」と言う。 (古川剛光)

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