若者たちのマグマ 相本 康一

西日本新聞 オピニオン面 相本 康一

 取材メモには「どこにでもいる学生のようだ」とある。

 出張先の香港で羅冠聡さんに初めて会ったのは北京駐在時代の2016年6月。当時22歳。若者中心の新党「香港衆志」を設立した直後だった。

 その年の9月、香港立法会(議会)選挙で初当選した。翌年3月に再び会った際は、表情が少し違って見えた。「5万票以上を頂き、責任やプレッシャーを感じている」

 中高校生時代はサッカー部。オンラインゲームが大好きという。社会問題に関心はあったらしいが、「政党のリーダーになるなんて思いもしなかった」。今や香港政府と対峙(たいじ)する抗議デモの中心人物の一人である。ノーベル平和賞候補にも取り沙汰された。

 彼が先頭に立つようになったのは、14年に香港中心部を占拠した「雨傘運動」から。行政長官選挙に関し「真の普通選挙」実現を求めたが、3カ月ほどで強制排除された。

 その反動なのか、17年に現地で取材した際、若者たちの間には「政治の話でけんかしても勝ち目はない」という冷めた空気があった。ある女子大学生は「雨傘運動が香港社会の分断を生んだと思われている。私たち若者の声は誰も聞いてくれない」と話した。

 羅さんも、雨傘運動の主導者として有罪判決を受けた。議員資格を剝奪され、親中派に取り囲まれて暴行も受けた。将来に絶望し、海外に移住する友人もいた。それでも諦めなかった。「雨傘は失敗したと思われている。けれど、何かやらなければならない」

 当時の無力感がマグマとなって噴出したかのように、抗議デモは過激化している。

 若者たちを駆り立てている背景はさまざまだ。中国マネーの流入によって経済は潤う一方、不動産は高騰し「30平方メートルのマンションが1億~2億円」(地元業者)。格差は広がり、進学先も就職先も中国大陸の人々に奪われているという不満がくすぶる。何より、司法や言論分野にまで統制の「影」が忍び寄る。

 返還時、「一国二制度」は50年間とされた。47年以降、香港はどうなるのか。若者たちの危機感は強い。

 あの日、羅さんに話を聞いたのは香港政府庁舎1階のカフェだった。職員らでにぎわう昼時、彼は周囲に遠慮なく政府批判を口にした。

 自由にものが言える。共産党一党支配の中国大陸とは全く異なる「当たり前の自由」が脅かされているとしたら-。

 行政長官は自らに強大な権限を与える「緊急状況規則条例」を発動、覆面を禁じた。かえって混乱をエスカレートさせ、社会の分断を深めないか心配になる。 (社会部次長)

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