【ラガーマン記者が読み解くW杯】ゼロからラグビー(15)この熱、”ムラ”から広がれ

西日本新聞 入江 剛史

 ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会が閉幕した。これほどの盛り上がりを誰が予想しただろうか。

 開幕を控えた1カ月半前、高校からラグビーにはまる46歳の私は不安になった。ラグビーの試合が地上波で生放送されても「ルールが難しい」などと見向きもされないのではないか。「ゼロ」からラグビーを理解する一助になればとこの連載を始めたが、全くの杞憂(きゆう)だった。

 開幕前、ラグビーを題材にしたテレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」を毎週見ては感涙していた。視聴率も高い。「ラグビー、きてるぞ!」。自信満々で同僚の20代女性記者に聞いた。

 「ノーサイド・ゲームって知ってる?」

 「いや…」

 「書店では原作が人気1位だけど」

 「いや…」

 「ラグビー好きなおじさんたちは毎週のように泣きながら見てるんだけど」

 「ハハハ…」

 急に不安に襲われた。何度も味わった感覚だ。また“ラグビー村”の中だけで盛り上がっているのではないか、と――。

  ◇    ◇

 福岡高(福岡市)でラグビーを始め、早稲田大で続けた。記者になっても赴任先で複数の高校ラグビー部の押しかけコーチをして、今も勤務地である佐賀市の「佐賀ジュニアラグビークラブ」で小学生のコーチをさせてもらっている。時々、ラグビーの記事も書く。

 私も暮らす“ラグビー村”の住民たちは熱い。7年前、福岡県内のラグビー好きを紹介する連載「王国の熱源」を書いたとき、余りある熱に「自分はここまで好きにはなれない」と自覚したほどだ。

 私がラグビーを始め、大学でも続けたのはラグビーが好きだったからではない。失った自信を取り戻すためだった。

 中学1年で柔道教室に通い始めたが、何度となく小学生の男の子、女の子に投げられた。

 そのうちの一人、背負い投げが得意な小学4年生の女子が、後に金メダリストとなる谷亮子さんと知っていれば、そこまで傷は深くなくて済んだのかもしれない。だが、知るよしもない中学生の私は深い挫折感を抱き、まもなく柔道教室を辞めた。

 もともと私は運動が得意ではない。バレーボールのトスを上げると、他の人にとは違う、破裂音のような不思議な音がしていた。

 福岡高校に入った私は、自分を変えたいと思い、最もきつそうなラグビー部を選んだ。

 ラグビーには15ものポジションがある。体が大きい人、足が速い人、器用な人…。どこかに居場所がある。個性を認め合い、一つのチームとして戦う。

 ただ、個性を認めてもらうには条件があった。「身を殺して仁を為(な)す」ことだ。仲間のために体を張れ。タックルしろ-。自分が逃げれば、代わりに誰かがタックルすることになる。求められたのは、自己犠牲の精神だった。

 高校で「日本一きつい」練習を乗り越えたことが自信となり、早大に入ってもラグビーを続けた。身長165センチ、体重は70キロほど。パスもキックもできない。でも、恐怖心に勝って相手に頭をぶつけ、スクラムを組むことだけはできた。スクラム最前列のプロップに、私の居場所があった。

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