「インパール作戦従軍記」を読み解く ビルマ戦記を追う<7>

西日本新聞 文化面

 二○一七年十二月に出た本書は、今後ビルマ戦を語る上で重要な位置を占めることになるだろう。火野葦平氏が戦地から持ち帰った手帳のうちビルマに関わる六冊が収録されているのである。内容は極めて細かい。農民の一年や食堂のメニューまでが記されている。見るもの聞くものすべてをメモしたのではなかろうか。しかも日付入りときている。

 中でも目を引くのはインパール攻略に苦しむ日本軍将兵の声である。日によっては録音機でも使わねば不可能と思えるほど多くの証言が並んでいる。インパール作戦が中止されようかという頃には、英印軍の蜂の巣陣地や物量にまるで歯が立たない実状が赤裸々に綴(つづ)られている。

 メモであるから検閲がかかっていない。かつ戦後のフィルターがかかっていない。英印軍から奪ったジープとおぼしき車両は「軽四輪」と記されている。個人的には「パンク」「スリップ」「モーターボート」といった単語の登場することもありがたい。当時の日本人は敵性語たる英語を使わなかったという嘘(うそ)はいまだに根強く残っており、本書をもって認識を改める人も少なくないと思う。

 インパール作戦が中止され、その後の撤退の様子を取材したあと、火野氏は久留米師団の取材へ向かう。火野氏の原隊が小倉の歩兵第百十四連隊であり、これは久留米第十八師団に属していたからである。

 久留米師団がふたつあったせいか本書の解説には若干の誤解が見られる。火野氏は中国雲南戦線の第五十六師団の取材を経て第十八師団司令部に合流したというのが実際である。原隊の第百十四連隊は北ビルマ最大の町ミイトキーナの防衛戦に敗れて撤退中だった。第十八師団主力もフーコン谷地を脱しての撤退中だった。インパール、雲南、フーコン谷地、ミイトキーナ。聞き書きが主とはいえ、この時期の全苦戦地の様相を火野氏は取材していることになる。
 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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