「死の筏」を読み解く ビルマ戦記を追う<9>

西日本新聞 文化面

 北ビルマ最大の町を本書では「ミチーナ」と書いている。しかし本随筆では「ミイトキーナ」とさせてもらう。多くの場合、私は戦史叢書(そうしょ)の表記を採用しているからである。

 ミイトキーナ戦は、昭和十九年五月から八月まで行われた。米軍を主力とした部隊がフーコン谷地から迂回(うかい)挺進(ていしん)して飛行場を占領したことに始まる。対する日本側の主力は小倉の歩兵第百十四連隊だった。「死の筏(いかだ)」は二カ月半におよぶこの戦いを生き残った藤野英夫氏が著した戦記である。原隊が書かれているとあって火野葦平氏が推薦文を寄せている。

 戦いはイラワジ河の湾曲部に広がるミイトキーナの町を連合軍が半ば包囲する形で進んだ。占領した飛行場を使って続々と物資や兵員を送り込む連合軍に日本軍は苦しめられた。籠城戦である。敵に地上兵站(へいたん)線がなく、戦車をはじめとする重火器が登場しないのは幸いでも、戦いはそのぶん長引くことになった。日露戦争や第一次世界大戦を彷彿(ほうふつ)とさせる塹壕(ざんごう)戦や坑道戦が展開され、食糧にも困窮する小倉連隊は気力にすがり続けた。

 記述自体は昭和十七年の十二月から始まっており、全体で言えばミイトキーナを中心とした軍務の回想であるが「死の筏」と題されていることからも籠城戦あっての執筆であることは疑いようがない。守備隊が限界を迎えての脱出時、歩行も困難な傷病兵は筏に乗せられてイラワジ河を流されたのである。目指すバーモの町は遠く、途中には岩の剥(む)き出す急流域があり、傷病兵の多くは水没した。

 本書は実在の人物を仮名にしている。文体や内容から推せば創作も含まれていると想像される。それでも、生き残りの少ない筏での脱出者がこのような記録を残してくれたことにはただただ頭が下がる。「ミイトキーナの戦いを書くべく計画していたが本書を読んで断念した」との旨を火野葦平氏は推薦文の中で告白している。
 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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