平野啓一郎 「本心」 連載第57回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 看護師が冷たいお茶を持ってきてくれた。
「お母さんは残念でしたね。最後は事故だって?」

 僕は、ええ、と頷(うなず)いた。患者ではないからか、顔見知りの年長者らしい口調だった。僕はそれを喜ばなかったが、ふと、自分の着ている服が、あまりに粗末だからではあるまいかと、普段は考えないことを気にした。なぜかはわからない。記憶にないが、僕は三年前にここを訪れた時と、同じ――着古した――服を着ていたのではないだろうか。

 しかし、彼がそのままこちらを見ている理由は、どうも違うらしく、ほど経て僕は、ようやく、その「事故」という言葉に彼が含ませたところを察した。僕の驚きは、怒気の手も引いていた。

「母は旅館で働いてたんですが、……そこに配達するドローンを、カラスがいつも狙ってたんです。食べ物目当てか、ただ遊んでたのか。」

「多いんだ、それが今。東京で、ドローン事故対策の撲滅作戦やってから、カラスが大分、こっちに逃げてきてるからねえ。」

「それで、通勤途中の母の上に落ちてきたんです、大きなドローンが。僕はぶつかったんじゃないかと思うんですが、現場検証では、当たってはいない、ということになりました。ドローンの会社の責任も問えないと。」

「労災は?」

「出ましたけど、多少。――とにかく、それで直接というのではなくて、その弾みに、母は、驚いて側溝に落ちてしまったんです。それは、ドローンの映像記録に残ってました。病院に運ばれるまでは息があったようですが、結局、そのまま亡くなりました。」

「お気の毒に。修繕してないような道路もいっぱいあるからね、今は。あなたは、死に目には結局?」

「いえ、……僕は上海に出稼ぎに行ってましたので。」

「かわいそうに。――ああ、あなたもだけど、お母さんが。……」

 富田はわざわざ、そう言い足した。彼が、僕に対して抱く軽蔑は、母への遠慮がなくなった分、隠し方がぞんざいになっていた。

 僕は、なぜだろうかと、ふと思った。安楽死を願う者の意思を、家族が理解せぬことなど、ありきたりな話ではあるまいか?

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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