「ビルマの風鐸」を読み解く ビルマ戦記を追う<13>

西日本新聞 文化面

「日赤従軍看護婦が見たビルマ最後の日」という副題がつけられている。著者は日赤広島班で婦長を務めた福田哲子氏であるが、本書の第一部は和歌山班の悲劇にあてられている。その内容を短く述べると次のようになる。

 昭和二十年四月、ラングーン(ヤンゴン)北方のペグーに英印軍が達した時点でマンダレー街道以西にあった日本軍は敵中に孤立する形となった。病院も例外ではなく、和歌山班が属していた第百十八兵站(へいたん)病院は自力での敵中突破とシッタン河の渡河に迫られた。しかし敵に捕捉され多くの死者を出した。

 この悲劇はテレビでも放送されたことがあるし、本書に見られるような関係者の努力等により割合よく知られている。本随筆をここまで読んでビルマ戦に関心を抱かれた方は、その辺りの記録に当たられると良いだろう。

 福田氏ご自身の体験が綴(つづ)られているのは第二部である。多くの資料をもってその記述は正確が期されている。

 女性の戦場体験は読んでいてつらいところが多々ある反面、現地の看護婦との交流など心温まる場面も多い。軍からの給料だけでは生活も苦しかったろうと前置きした上で、最後まで辛抱してくれたビルマ人看護婦たちに福田氏は感謝の念を滲(にじ)ませている。日本の敗戦が伝わると、郷里の遠い看護婦を下士官が護送もしたという。

 第一部で和歌山班を記したことからも明らかなように、福田氏は他の救護班の活動も可能な限り拾おうと努めている。

 病院勤務者に危険が及ばぬよう軍がいくら努めても、戦線が事実上崩壊すれば看護婦にも行軍の苦しみがのしかかった。ビルマ東部のシャン高原にあった救護班はタイへと脱出することになるのだが、それは「累骨の谷」にも書かれているドーナ山系越えだった。

 このとき看護婦たちを送り出した一軍医が詠んだという歌を最後に引用する。

 ――幾山河越え行くナースに幸あれと祈る我(わ)が目は曇りて見えず

 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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