聞き書き「一歩も退かんど」(14) 菓子コンクールでV 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 出稼ぎで体を壊し、宮崎県都城市に戻った私。回復したら元の菓子店に勤め、夜はキャバレーのボーイもしました。お客さんがたまにくれるチップが本当にうれしかったですね。自分の菓子店を持つまでは、とひたすら働く日々でした。

 そんなある日、菓子店の社長が「川畑君、いっちょ腕試しせんか」。都城圏域の菓子職人コンクールへ出場せよと言うのです。応募したのは純正カステラの部。小麦粉、卵、砂糖などで焼き上げるカステラはシンプルで奥深く、自分の力が試せると考えました。

 1974年10月、いよいよ大会当日。出場者の中で28歳の私は最年少。周囲360度から審査員や同業者が見守る中、緊張の実技です。ドキドキして卵を割り、砂糖を加えホイップ。小麦粉を投入して仕上げに蜂蜜と水あめを入れ、型に流し込んで焼きます。途中で生地を細かくする「泡切り」を適度に入れるのがこつ。私はなるべく手早く5回で切り上げました。

 1時間後、続々とカステラが窯出しされますが、ぺしゃんこになるなど失敗作続出です。ベテラン職人も緊張でこうなるのですね。いよいよ私の番。恐る恐るふたを開けたら、周囲から「うわあ」とどよめきが。表面はごく滑らかでこんがりとしたきつね色。われながらうまくいきました。中身の比較でも私のカステラが最も生地の目が細かく、優勝となりました。

 これが大きな自信になりました。周囲からは「なーんが10年やそこらで自分の店など出せるものか」となじられてきましたが、一生懸命やればできると、確信しました。

 翌年、ついに鹿児島県志布志市の中心部から少し離れた幹線道路沿いに、80坪の用地を買いました。帽子店で働く妻の順子が、少ない給料から毎月3万円を四苦八苦してためてくれたのが、役立ったのです。

 建物は近くの中古住宅を安く購入し、ばらして持ってきました。さらには、以前勤めた会社から規格外のブロックをただで分けてもらい、休みの日に1人で黙々と積みました。

 開店までもう一息で、問題が浮かびます。店名です。私は先祖から続く「川畑」の名に誇りを持っており、「川畑菓子店」にするつもりでしたが、近くの末吉町(現曽於市)に「川畑」を名乗る店があったのです。万が一、私の店が食中毒でも出そうものなら、あちらの店に迷惑が掛かります。これは弱りました。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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