われら前衛の徒 大分新世紀群の軌跡(1) 磯崎新の原点 芸術と政治 二つのアバンギャルド

 誰もが知る建築界の巨匠は、誰にもその実体を捉えさせない。

 「理解してもらってもしょうがない。体で感じてほしい」

 故郷の大分市で煙に巻くようにこう語り悪戯(いたずら)っぽく笑うのは、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受けた磯崎新(88)。彼の足跡を辿(たど)る展覧会が大分市美術館で開かれている。その名も「磯崎新の謎」。約30の仕事にインスタレーションや映像、模型などで迫るが、会場でいくら目を凝らしても熟考を重ねても、変遷する作風やコンセプトは難解で、本質への接近や理解を阻む。謎はむしろ、深まるばかりだ。

 常に新境地に挑む磯崎の前衛精神を育んだ原点が、故郷にあった。それは、とある画材店。耳を澄ませば時を超え、芸術を求め集った彼らの息吹が聞こえる。

 ここに一枚の写真がある。そう広くはない、隅に木材が並べられた空間に、20人ほどの若者が肩を寄せ熱気を帯びた眼差(まなざ)しを注ぐ。視線の先には絵が並べられていた。毎週火曜と金曜に開かれていたデッサン会の最後に、それぞれの作品を批評する合評会だ。終会すると出がらしの安コーヒーを、時には酒を手に、何時間も芸術論を戦わせた。

 彼らの名は「新世紀群」。1951年、まだ焼け跡が残る大分市で結成された美術サークルだ。根城は、当時大分唯一の画材店「キムラヤ」。店の裏のアトリエに集い、好きな絵を一心不乱に描いた。公募展や団体展を否定し、既存の権威を退けた。時代と若さ故か、威勢がいい。結成当初の展覧会プログラムに掲げた宣言はこうだ。

 <我々(われわれ)の周囲を眺める時、絵画は殆(ほと)んど老衰し破壊されつくしているのを知っている今、新たに制作し行動せんとする若者達に対しても、それと同じ圧力はあらゆる形をもっておそいかかってくる。それは画壇の徒弟制度であり、公募展であり、古い力と結びついたジャーナリズムである>

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 磯崎は早熟な芸術少年だった。現在の大分上野丘高校で同級生だった直木賞作家の赤瀬川隼(原平の兄)は高校時代、写生の時間に友人の作品を見て回り驚いた。

 <一人の肩口から絵をのぞき込んでハッとした。まばゆい木洩(こも)れ陽とその周辺の明暗、社殿や木々のたしかな形と色合いが、水彩なのに油彩のような量感で、今思えばピサロやシスレーのような完成度で私の眼に迫った。そいつは磯崎新だった>(ZINC WHITE 草創期の新世紀群)

 磯崎は高校2年のころからキムラヤのデッサン会に足繁(あししげ)く通った。アトリエには多くの若者が集まった。やがてその中の清水将美と堤延樹が2人展を開く。コッペパンと脱脂粉乳が貴重な栄養源だった時代。コッペパンをかじりながら開かれた展覧会は「コッペ展」と呼ばれた。

 <小さな作品が多かったが、物の乏しい時代に貴重な絵の具を使って、本物そっくりに描かれたこれらの絵はうす暗い室内で、宝物のように浮かび上がってみえた>(文芸誌「航跡」に元メンバーが寄せた手記)

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 新世紀群の命名には磯崎が深く関わっている。50年に東京大に進学すると、美術研究会に所属した。入居した駒場の学生寮ではマルキシズムが盛んに論じられていた。ある日、先輩に誘われ中野方面の一軒家を訪ねる。家では十数人の若い男女が議論していた。大分時代、高校などの図書館で現代美術の本を読み尽くしていた磯崎は、社会主義リアリズムを論じていた彼らの議論に加わった。

 まくし立てるような磯崎を生意気だと思ったのか、グループのリーダーとおぼしき男が説得力のある弁舌で磯崎を押さえにかかった。数カ月後、男は「壁-S・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受ける。安部公房だった。彼らの集いは「世紀の会」といった。

 コッペ展が終わると、若者たちが絵画サークルをつくろうと声を上げた。大分に帰省していた磯崎は、世紀の会をヒントに「新世紀」を提案する。そこに、リーダーとなる木村成敏らが「群」をつけ、新世紀群となった。

 <戦争に敗れて過去は否定された。これからは若者の時代だ。(中略)こうして我等(われら)の「新世紀群」が誕生した>(同)

 磯崎は当時から、明確に前衛を指向していた。

 <芸術のアヴァンギャルドと政治のアヴァンギャルドをいかに統合できるか、といういずれ不可能が証明されていくような問題が最大の関心事だった>(ZINC WHITE 草創期の新世紀群)

 ここでいう政治のアバンギャルドは共産主義を指す。新世紀群メンバーにも、戦争を経験し左翼思想に引き寄せられる者が少なくなかった。生活者としての視点を重視した彼らは、二つのアバンギャルドに牽引(けんいん)されるように芸術の解放を試みる。誰にでも作品を見てもらおうと、公園での野外展まで開くようになった。

 いわば美術の民主化を推し進めようとした彼らは、紛(まが)うことなく前衛の徒であった。戦中の闇を抜け、文化の灯をよすがに新たな時代を生き抜こうとした。

 ではなぜ、大分で新世紀群が誕生し得たのか。その謎を解くためには、彼の地に文化を根付かせようと奔走した先人の歩みを辿らなければならない。

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 磯崎や美術家で芥川賞作家の赤瀬川原平、美術家の吉村益信、風倉匠(しょう)など、後にきら星のように輝く表現者を輩出した新世紀群の軌跡を描く。 =敬称略 (藤原賢吾)

◇「磯崎新の謎」展〈いき〉篇、〈しま〉篇 24日まで、大分市美術館=097(554)5800。観覧料一般1000円ほか。

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