聞き書き「一歩も退かんど」(15) 念願の店に枇榔の名 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 念願の菓子店開業まであと一息に迫った私と妻の順子ですが、「川畑」を使った店名を見直さないといけなくなりました。これは弱った。頭を抱えていると、順子がひらめきました。

 「志布志には、枇榔(びろう)島があるじゃない」

 枇榔島は志布志湾に浮かぶ無人島です。ビロウなどの亜熱帯性植物の群落が国の特別天然記念物に指定されていて、志布志を代表する景観の一つです。志布志で店をやるにはぴったりの名前ではありませんか。電話帳をめくると、そういう名称の店や会社は見当たりません。「よし、これにしよう」。店名は「ビロー堂」に決めました。

 1977年11月2日。私の32歳の誕生日は、人生で忘れられない日となりました。東京に単身で菓子職人の修業に出て6年余りで、念願の菓子店を開いたのです。所在地は現在の鹿児島県志布志市志布志町志布志。これだけ「志」が多い地名ですから、強い意志を持って店は伸びていくことでしょう。この先、長い付き合いとなる枇榔島にも上陸し、神職を呼んでおはらいをしてもらいました。

 店舗兼工場兼住宅は狭くて古いのですが、妻とこつこつ働いて手に入れた私たちの「城」です。ここを拠点に私は菓子作り、妻は接客や経理にフル回転。夜10時にお客が来ても、店を開けて菓子を売りました。

 新規の店ですので、待っていても顧客は増えません。私は営業活動に精を出しました。敬老会などの会合を聞きつけては、「食べてみてください」とロールケーキを持っていくのです。志布志だけでなく鹿屋や都城、遠くはロケット基地のある内之浦まで足を延ばしました。結婚式の引き菓子など、まとまった注文が取れた帰りは、車を運転しながらガッツポーズをしたものです。

 そうやって経営は順調に推移し、私たちは店を新築することにしました。83年に鉄筋コンクリート2階建てで新しい店舗兼工場兼住宅を建設。従業員を6人雇って、100個単位の注文も流れ作業でこなせるようにしました。書き入れ時のクリスマスにはバイトを3人雇ってケーキ作りに励みました。

 ですが、その頃からなぜか売り上げは頭打ちになっていました。経営者として「何か手を打たないといけない」と悩み始めた時、知人の紹介で、政界の「大物」と会えることになりました。自民党副総裁だった二階堂進さんです。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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