聞き書き「一歩も退かんど」(17) ビジネスホテル開業 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 1987年までに娘2人が大阪に就職。私と妻順子の人生にまた転機が訪れます。4年前に新築した菓子店舗兼住宅の一部を遊ばせておくのはもったいないので、増築して宿泊業に手を広げてみたのです。

 この頃、志布志は港湾関係の事業が盛んで、作業員の宿泊需要があると見込みました。泊まり客の夕食作りは菓子店の従業員に頼み、朝食だけは夫婦で頑張って作ることに。地元の集落名から「大原荘」の看板を掲げました。

 ところが、1週間たっても人っ子一人、客は来ません。これは失敗したかと思ったら、妻の順子が「はやりのビジネスホテルにしてみたら」。なるほど、と看板を「ビジネスホテル大原」に変えると、その日から客が入りだしました。

 そして、菓子店と宿泊施設の経営は順調に推移しました。すると、妻から指宿の旅館で驚きの提案が。

 「お父さん、ホテル建てようよ」

 「えっ、お金はどうするの」と、聞き返したのは言うまでもありません。

 その少し前、道路を挟んだ向かいの土地が売りに出たので、従業員の駐車場にでも、と購入していたのです。知り合いの設計業者に図面を引いてもらい、費用を見積もると、何と億に達する額。駄目でもともとで銀行に融資を申し込みました。最終判断のため、銀行のお偉方が黒塗りの車で現地にやって来ました。

 「おお、志布志の玄関口のいい場所ですね。よろしい。貸しましょう」

 もう、びっくりです。菓子店の経営が堅調なのが決め手でした。菓子店の営業を続けることを条件に、融資が認められたのです。

 そして93年10月、鉄筋コンクリート4階建ての「ビジネスホテル枇榔(びろう)」が開業しました。左目を失明して職を失い、菓子職人の修業をして…。これまでの20年余りの苦労を思うと、感無量でした。

 長女の小由美(さゆみ)が菓子店の運営に入ってくれていましたが、94年に結婚し家を出ます。私は過労がたたり、手が震えて息切れするように。狭心症と診断され、思い切って菓子店を閉じました。「千軒太鼓」を作れなくなるのは残念ですが、背に腹は代えられません。銀行にも断りを入れました。

 それからホテルの経営と朝食作りに地道に働いていた私に突然、思いも寄らぬ冤罪(えんざい)が降りかかるのです。

 長らくお待たせしました。次回から「志布志事件」の話に戻ります。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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