昭和の献納米の地、風化させぬ 早良区脇山の主基斎田 お田植舞行事で継承

西日本新聞 ふくおか都市圏版 下村 佳史

 「歴史的な行事をいつまでも残したい」-。昭和天皇の即位の儀式があった1928年、大嘗祭(だいじょうさい)に献納する米を育てる主基斎田(すきさいでん)の地に選ばれた福岡市早良区脇山では当時、地元の女性が田植え行事の際、早乙女姿で踊った「お田植舞」が今も伝承されている。天皇陛下の皇位継承に伴う14、15日の大嘗祭を前に、住民は全国の注目を集めた行事を風化させないよう決意を新たにしている。

 脇山は、脊振山系の山裾に広がる田園地帯。カメの甲羅を使った占いを基に、福岡県が主基斎田の地に選ばれた。県内の3候補地から、水がきれいで、大嘗祭に間に合うよう早稲(わせ)の米作りができる適地として脇山が選出されたという。

 「お田植祭を見物しようと、大行列ができた。14キロ離れた鉄道の駅から歩いてきた人もいるようです」。昨年の主基斎田90周年記念事業の一環として、パンフレット作成に携わった脇山校区自治協議会の重松重興会長(75)は当時の資料を調べるうち、現在では知られていない数々の事実に驚くばかりだった。

 6月初旬、3日連続で行われたお田植祭には、計17万人もの見物客が小さな農村に詰めかけるにぎわいぶりだったという。

 現在、地元の女性が脇山小の児童に教え、継承しているお田植舞とともに、八少女舞(やおとめまい)と呼ばれる舞も奉納されたことが分かった。ただ、この舞は地元に伝わっておらず、重松さんは再現の手がかりとなる資料探しを続けている。

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 主基斎田では、地元の男性80人、女性50人が奉耕者として約7カ月、水の管理や害虫駆除など細心の心配りをして献納米作りに携わった。収穫後も砕けた米を取り除き、きれいな粒を選び出し、絹布などの袋に入れてゆすって磨き、つやを出す作業をした。こうして一大事業を成し遂げた。

 主基斎田は現在、公園に姿を変えている。斎田跡の四隅に立つ石柱が往時をしのばせるのみだ。薄れていく記憶…。お田植舞も、実は戦時中いったん途絶え、婦人会によって1966年に復活した経緯がある。地域の歴史を大事に思う有志によって、どうにか忘れ去られずにきたのだ。

 9年後には100周年を迎える主基斎田。大きな節目に向け「昭和の始まりに何が地元であったのか、住民の心に根付かせたい」と重松さん。平成、令和と時代の移り変わりを感じながら新たな記念事業をどう進めるのか、熱い思いを募らせている。 (下村佳史)

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