「白衣の天使」を読み解く ビルマ戦記を追う<26>

西日本新聞 文化面

 副題に「ビルマ最前線 従軍看護婦死闘の手記」とある。会田雄次氏と同じ第五十三師団に属していた宮部一三氏の編纂(へんさん)になる本である。宮部氏には「ビルマ最前線」という戦記もあり、その出版が日赤救護班との縁を取り持ったという。静岡をはじめとして合計八つの救護班から多くの元従軍看護婦が手記を寄せている。

 特に紹介しておきたいのがシャン高原のカローで勤務していた看護婦の体験である。勤務に余裕のあった頃ビルマ人看護婦が日本の軍医に好意を持ち、その恋文を代筆したことが書かれている。国籍を超えた看護婦同士の信頼と友情がよく伝わるこの逸話に、私は個人的に胸を打たれてならない。というのも一度カローに足を運んだことがあって、そのおりどこからともなく現れた老人が次のようなことを話してくれたからである。
「戦後しばらくして日本の看護婦が訪ねてきた。そして、共に勤務していたビルマ人看護婦を捜し回った。彼女たちは再会を果たし、抱き合いながら涙をこぼしていた」

 かつての勤務地を訪ねた元軍人等は非常に多い。これはビルマの特色である。

 戦史上の事実としては、メイミョーで勤務していた方の手記を挙げておきたい。その元看護婦はインパール作戦で第十五師団を指揮した山内正文中将を看護している。

 山内中将は担架に乗せられて入院した。すでに師団長を解任されていたとはいえ閣下には違いない。緊張の挨拶(あいさつ)をする看護婦に中将は「宜(よろ)しく頼みます」と笑顔でうなずいている。その衰弱は激しく、栄養剤を中心とした静脈注射が毎日行われたという。

 手記から伝わる中将の人柄は穏和で、端的に言えば紳士である。ときには冗談も口にしている。悲しいことに、その容体は好転しなかった。息を引き取ったのは入院からおよそ一カ月後である。死相は安らかで気品すら漂っていたと元看護婦は回想している。

 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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