「日本赤十字従軍看護婦」を読み解く ビルマ戦記を追う<27>

西日本新聞 文化面

 元日赤従軍看護婦の会が編纂(へんさん)した本である。副題を「戦場に捧(ささ)げた青春」という。「白衣の天使」と同様、元従軍看護婦による手記がまとめられているのだが、寄稿が多かったのか第二巻も出ている。

 内容は「中国編」「病院船編」「南方編」と分けられており、ビルマのそれは決して多くはない。しかしありがたいことに、ラングーン(ヤンゴン)脱出を記した寄稿がある。英印軍が迫る中、同地にあった日本人はいかにして難を逃れたのか。その一端を知ることができる。

 ラングーンには第百六兵站(へいたん)病院があった。調整も連絡もないままビルマ方面軍司令部が撤退したため在ラングーン部隊は混乱し、兵站病院は海路組と陸路組に分かれての慌ただしい撤退を始める。昭和二十年四月下旬のことである。向かう先はマルタバン湾をはさんだ後方モールメンだった。

 海路は到着こそ早かったが空襲により犠牲者を出している。ラングーン港を出る時点で決死の覚悟を固めており、看護婦も手榴弾(てりゅうだん)を持っていたという。

 陸路組の看護婦も手榴弾を持ってラングーンを離れた。いったん北上してペグーの大平原を抜けるのだが、戦史に照らし合わせるとその時点で英印軍は北方七十キロから八十キロにまで迫っている。日本軍は、防衛戦に不向きな街道で抵抗をこころみる他なく、機械化された敵の前にはわずかばかりの時間稼ぎにしかならなかった。英印軍はほとんど鎧袖(がいしゅう)一触の勢いで驀進(ばくしん)を続けている。

 幸いにして第百六兵站病院が敵に捕捉されることはなかった。どうしても運びきれなかった患者については後続の撤退部隊が収容しており、これは先に紹介した「ああ 菊兵団 -ビルマ縦断作戦-」に詳しく載っている。

 戦の必要を考えればビルマ方面軍司令部の撤退は当然のこととしても、事態の急迫に周章狼狽(しゅうしょうろうばい)したあげくラングーンを混乱させた責任は極めて大きい。

 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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