「ビルマ脱出記」を読み解く ビルマ戦記を追う<28>

西日本新聞 文化面

 英印軍が刻々と迫る戦況にラングーン(ヤンゴン)はほとんど無法状態となり、略奪と放火が相次いだ。市民は軍の倉庫にも押しかけた。その混乱の中、ラングーン防衛戦力の骨幹であった独立混成第百五旅団は第百六兵站(へいたん)病院の患者約五百名の後送方針を打ち出している。成果は不明ながら、兵站病院と患者を見かねての支援と思われる。

 そうした事態を引き起こしたビルマ方面軍司令部の醜態は、田村正太郎氏の著した本書「ビルマ脱出記」にも書かれている。田村氏は日本大使館に勤めており、本書の副題は「外交官の見たビルマ方面軍壊滅の日」である。

 当然、職務には領事事務が含まれており、現地召集事務などを行う一方で在留邦人の保護義務も負っていた。

 危機感の高まっていくラングーンで、田村氏は方面軍参謀から難題を吹っかけられている。要約すれば「四月二十三日中に在留邦人を撤退させよ」という内容なのだが、あろうことか指示されたのは前日の夜である。さらにあろうことか撤退当日になって召集を行う旨が告げられてもいる。「まったく呆(あき)れた話だが、今となっては怒っている時間さえない」と田村氏は嘆いている。

 方面軍司令部の狼狽(ろうばい)ぶりがよく分かる記述はさらに続く。司令部も大使館もラングーン大学の敷地に置かれており、ラングーンを発(た)つおりに田村氏は総領事と挨拶(あいさつ)に向かっている。そして足の踏み場もないほど書類が散乱した参謀室を見ている。田村氏はそのとき「脳天に一撃を食った思いで立ちすくんだ」という。ビルマ政府や在留邦人が撤退しても軍は残って戦うと信じていたからである。

 最盛期には三千人もいた在留邦人は仕事を失ったあげく去り、あるいは召集され、二十三日にラングーン日本人会の庭に集まったのは百名あまりでしかなかった。翌二十四日の午前三時、大使館員と在留邦人はラングーンを脱出している。

 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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