アイドル編<440>真璃子(上)

西日本新聞 夕刊

 お笑いコンビ「とんねるず」の妹分として紹介されていたのが、福岡市出身で1986年にアイドル歌手としてデビューした真璃子だ。

 「とんねるずさんには本当にお世話になりました」

 「とんねるず」と真璃子は一時期、同じ事務所に所属していた。「とんねるず」が司会していた人気テレビ番組「ねるとん紅鯨団」(87~94年)のエンディングテーマ曲にも真璃子が歌う「夢を叶(かな)えて」などが使われた。真璃子自身も夢を叶えて歌手になったが、そこには強い信念があった。

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 「歌手になりたい」 

 真璃子は小学校高学年にはすでにこのような思いを強く抱いていた。父親が歌謡曲好きで、家にカラオケがあった。いつも一緒に歌っていた。

 「生活の中に歌があり、楽しいときも悲しいときも歌が寄り添ってくれていたように思います」

 真璃子の歌を父親がカセットに録音し、車の中でも聴き直すことも少なくなかった。

 「父は歌がうまかったので、聴きながら父が歌唱指導するわけです」

 真璃子は山口百恵にあこがれていた。

 「百恵さんは歌番組の常連だけでなく、テレビドラマの『赤いシリーズ』で主演していましたから」 

 中学に入ると、オーディションに応募し始めた。

 音楽教室にも休まずに通った。オーディションを受けることは当時、少女たちの流行でもあった。

 「私には遊びとか、思い出作りといったものではなく、歌手になるための関門として必死でした」

 一発で合格するほど甘い世界ではない。落ちても、落ちてもチャレンジすることを忘れなかった。6回目のオーディションが84年の文化放送主催の「スターは君だ!!」。

 真璃子の中学時代にヒットしていたのは中森明菜、小泉今日子などいわゆる「花の82年組」の歌である。中森の「トワイライト」、小泉の「艶姿(あですがた)ナミダ娘」で、予選、九州大会を突破した。本選の東京大会では中森の「北ウイング」を歌い、念願のグランプリを射止めた。審査員の一人、音楽プロデューサーの飯田久彦が「ものまねしすぎ」と批評した。このとき、真璃子は「個性を出さなくては」と思った。

 進学したばかりの福岡の高校を辞めて上京した。86年にフォーライフレコードから「私星伝説」でデビューを果たした。

 「やっとスタートラインに立てた。目標はオリコンのベスト10入りでした」

  =敬称略

  (田代俊一郎)

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