聞き書き「一歩も退かんど」(18) 鍵握った妻の「日記」 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 長々と身の上話に付き合わせてしまいました。本日から本題の「志布志事件」に話を戻します。鹿児島県警が志布志市の懐(ふところ)集落を舞台に架空の選挙買収をでっち上げた冤罪(えんざい)事件で、私はその最初の被害者です。

 この聞き書きの初めで、最初の3日間の執拗(しつよう)な取り調べのことは詳しく話しました。志布志署に裏口から通され、令状なしの身体検査に始まって、自分より10歳以上も年下のH警部補に「おまえはばかかー」「黙れー」と怒鳴られ続け、揚げ句の果てが「踏み字」です。愛する肉親の名前とうその言葉を書いた紙を無理やり踏ませるとは…。妻の順子の言葉を借りずとも、ほんなごつ許さるっこつじゃなか、です。

 踏み字を受けた翌日、2003年4月17日の朝。私はまだ後頭部がずきずきしていました。ホテル宿泊客の朝食作りは妻に交代してもらいました。それでも午前8時ごろ、2人の刑事がまた私を迎えに。妻が「夫は頭が痛くて寝ていて、病院に連れて行きます」と追い返してくれました。

 その10~20分後、また2人がホテルのフロントに戻ってきて、「日記を貸してください」と妻に頼みます。妻が「いつまでの分?」と聞くと、「1月から3月末まで」。妻は私の潔白を証明できればと考え、「協力しますから、しっかり調べてくださいね」と、差し出しました。

 「日記」とは、妻が毎日つけているビジネスホテル枇榔(びろう)の予約台帳でした。妻は台帳の余白に日記代わりに、どれそれの会合があった、誰から何の用件で電話があったなど、その日の出来事と留意点を細かく書き留めていたのです。

 3日間の取り調べでしつこくアリバイを追及された私は「妻が日記をつけているので見たらいい。何も悪いことをしていないと証明できる」と答えた覚えがあります。それで、電話でH警部補に指示された2人が、取りに来たのでしょう。

 この「日記」が、志布志事件のアリバイを巡る検察と弁護団の攻防の下敷きになると同時に、被告たちの無実を証明する有力な物証になっていくのです。

 午前11時ごろ、妻が私をパジャマ姿のままかかりつけの医院に連れて行ってくれました。医師は私の容体を見てすぐ、より大きな病院を紹介。血圧が急上昇しており、経過観察のため即、入院となりました。

 すると県警は私に代わる新たな標的を定めます。藤元いち子さんでした。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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