見えない恐怖から20年 湯之前 八州

西日本新聞 オピニオン面 湯之前 八州

 見た目は何の異変もない街で、ラジオがけたたましく屋内退避を呼び掛けていた。突然直面した放射線の見えない恐怖。あの日と同じ場所に立つと、記憶がよみがえった。

 茨城県東海村の臨界事故から9月末で20年が過ぎた。作業員2人が死亡し、住民ら約660人が被ばくした。当時、国内最悪の原子力事故とされた。このとき私は茨城県内の新聞社に勤務し、以後5年、関連取材に携わった。原子力産業が集積する村の雰囲気は変わったのか。教訓を得たはずなのに、なぜ福島第1原発事故を防げなかったのか。久しぶりに村を訪れ考えた。

 核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)は20年前と同じたたずまいで、畑と住宅に囲まれた中にあった。事故で事業許可を取り消され、今は関連施設閉鎖に向けた設備の撤去作業を続けている。

 節目の年を迎えた感想を聞こうと、近くの民家の呼び鈴を鳴らした。高齢の女性は戸を閉めたまま「話すと怒られる」と拒否。取材を断る住民が多かったのを思い出した。「原子力村」が背負う複雑な事情を改めて感じた。

 サツマイモ畑で男性(75)に会った。事故で深刻な風評被害に直面した。徐々に元に戻ったが、健康への影響はまだ気になっている。国は「心配ない」とするが「信用できるのか」と不安を口にした。

 相沢一正さん(77)方に寄った。事故の4カ月後、村で初の脱原発派村議として当選し、3期務めた。「村の原発反対派は臨界事故でまとまり、福島事故で住民の半数を超えた。口には出さないが、意識は確実に変わった」。議員活動を通して実感したことだ。

 事故は、効率を求めた違法な手順が原因だった。作業員や会社幹部は起訴され、業務上過失致死罪などで有罪が確定した。相沢さんは「原子力産業を経済性重視の体系にした国の責任も問うべきだった」と指摘。「責任追及の甘さが、十分な津波対策を怠った福島第1原発事故につながった」と言い切った。

 相沢さんの家を出て、車を北に向けた。常磐自動車道を2時間。高速を降りると「帰還困難区域」の看板が立っていた。福島第1原発に近づいたのだ。鉄柵でふさがれた店舗、人の姿のない街並み…。事故から8年半を経ても、戻らない現実がそこにあった。「三たび繰り返しちゃいかんのです。同じことは」。さっき耳にした相沢さんの言葉が、重く心にのしかかった。

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 ▼ゆのまえ・やしま 1972年、鹿児島市生まれ。茨城県内の新聞社を経て2005年入社。社会部、鹿児島総局を経て東京報道部。

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