「敵・戦友・人間」を読み解く ビルマ戦記を追う<30>

西日本新聞 文化面

 井上咸(はやし)氏が「収容所のロビンソンクルーソー」の二年前に著した戦記である。「栄光なき戦いの果てに」と副題が打たれている。随筆集と呼ぶべきだろう内容で、言うなれば回想記らしい回想記である。満州の初年兵時代からビルマでの終戦までが綴(つづ)られている。

 ビルマの戦史が語られるときに盲点となりがちな第一次チンディットと、その討伐における一場面が本書で回想されているので触れておきたい。

 チンディットとは、オード・ウィンゲート准将率いる部隊の愛称である。第一次侵入は昭和十八年だった。インパールを経由し、三千名を超える規模でアラカン山系を越え、空中補給を受けつつ、彼らはビルマ中北部を荒らし回った。それなりの規模の部隊には地上兵站(へいたん)線が必要という常識を破って見せたのである。チンディットは日本軍の討伐を方々で受け、最終的には満身創痍(そうい)となって大半がインドへ撤退する。しかし日本側はビルマ防衛に憂慮を深めることとなり、インパール作戦が決行に至った一因がここにあるとも言われる。メディアは常に無視するが、インパール作戦の目的は「ビルマの防衛強化」である。

 井上氏はチンディット討伐において二十四、五歳の英人中尉を捕虜にしている。その英人中尉はビルマ人に猟銃で撃たれて動けずにいた。衛生兵による応急処置と併行して尋問が行われたものの、中尉の回答は自分の指揮する小部隊のことのみで、逆に部下たちの安否を質(ただ)しもしたという。その態度に対して抱かざるを得なかったろう敬意が井上氏の記述には強く現れている。尋問側の完敗とまで書かれているのだった。

 前述のアーサー・スウィンソン氏の「コヒマ」には日本兵捕虜から情報提供を受けた記述も見られるのだが、その事実とはいかにも対照的である。後知恵批判が嫌いな方でも、捕虜の発生という戦地の現実を日本軍は直視すべきだったと言いたくなるだろう。

 (こどころ・せいじ、作家)

 *****

古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

PR

文化 アクセスランキング

PR

注目のテーマ