「ビルマ戦記」を読み解く ビルマ戦記を追う<32>

西日本新聞 文化面

 部隊碑でひとつ思い出したことがあるので後勝氏の「ビルマ戦記」も取り上げたい。本書は副題を「方面軍参謀 悲劇の回想」といい、序を瀬島龍三氏が寄せている。

 参謀という職務はある種の偏見を抱かれがちである。兵隊からは決して好かれなかったし、兵隊を無駄に死なせたイメージすら現代人にはあるだろう。日本軍の場合、確かに参謀が原因となった悲劇は少なくない。とはいえ参謀はあくまで参謀にすぎない。英語にすれば「スタッフ」であり、簡単に言えば指揮官を補佐するのが職務である。その立場ゆえの回想記にはむろん相応の価値がある。本随筆では特に久留米第五十六師団に関わる記述を取り上げる。

 参謀は方々に派遣もされる。後氏は昭和二十年四月二十四日にシャン高原南部の町タウンギーに赴いている。四月二十四日と言えば首都ラングーン(ヤンゴン)からあらゆる邦人が脱出していた頃である。後氏に与えられていた任務は「敗軍収容」だった。戦い敗れた部隊等がシャン高原を南下せねばならず、そのための輸送力の充当などをこなしている。

 敗軍がどうにか撤退できたのも、非戦闘員がタイへと脱出できたのも、第五十六師団がシャン高原南部を確保していたからに他ならない。同師団は雲南戦線で玉砕部隊を出すなど苦戦を続けたあげく司令部をタウンギーまで後退させていたのだが、その時点で守っていた正面は百キロに及んでいる。これは本来なら一個師団で守りきれる距離ではない。実際、敵は戦線の隙間から侵入を繰り返している。戦闘部隊のすべてを第一線に張り付けていた第五十六師団は、非戦闘部隊の輜重(しちょう)隊に対して侵入した敵の撃破を命じている。後氏によれば輜重隊は師団の期待によく応えていたという。

 この輜重隊は正式名を輜重兵第五十六連隊という。久留米市にある山川招魂社には同連隊の碑が建てられている。 

(こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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