「ひやみかち」もう一度 阪口 彩子

西日本新聞 オピニオン面

 沖縄戦に関わる原稿を書き終え、派遣先の西日本新聞に出稿した夜だった。寝床に就いたのは午前2時半ごろ。しばらくして琉球新報から渡されているスマートフォンが鳴り続けた。画面を見ると、オレンジ色の大きな炎の写真。暗闇の中で首里城が燃えている。一瞬、何が起きているのか理解できなかった。

 新報に入社以来、首里城は毎年訪れた。きらびやかな正殿や国宝を見に行っていたのではない。大学時代から引き続いて、沖縄戦を知ろうと思った。首里に住む体験者の話を聞き、地下に眠る戦争遺跡の入り口を探した。連日、観光客でにぎわうが、第2次大戦の時、首里城の地下に日本軍が第32軍司令部壕(ごう)を置いていたことを知る人は少ない。このため「鉄の暴風」に例えられた無数の砲弾が撃ち込まれ、王朝文化の歴史をたたえる首里は廃虚と化した。

 まだ夜が明けきらないころ、沖縄の取材先からメールが届いた。「焼け崩れていく首里城の姿は、ウチナーンチュ(沖縄の人)のプライドとか誇りとかが崩れるような感覚がした。必ずしも王様を崇拝しているということではなく、先の大戦で焼失した首里城の復元はウチナーンチュの自尊心を支える柱だった」

 沖縄戦で壊滅した首里城を復元しようと、県内外から必要な資料や職人を集め、県民は一丸となって再建に取り組んだ。その首里城が燃え落ちた時、1度失った首里城をまたも失うのか、という喪失感が沖縄全体を包み込んだ。

 ただ、打ちひしがれてばかりもいられない。沖縄戦を生き抜いた先人たちは、焼け野原から一歩ずつ歩みを進めてきた。戦後すぐ、県民を鼓舞する「ひやみかち(エイッと頑張ろう)」という民謡がはやったという。今、「ひやみかち首里城」と会員制交流サイト(SNS)などで呼び掛け合い、再建の動きが全国に広がっている。建物が焼失してもウチナーンチュの心は受け継がれている。

 首里城周辺のアカギは沖縄戦で焼け焦げたが、命を継ぐように枯れ木にアコウが茂り、昔の面影をとどめる。そのたたずまいは沖縄の力強さを見つめているようでもある。

 高台に立つ首里城の朱色は、緑の木々と沖縄の青い空によく映えた。遠くからも目立ち、貫禄があった。先人たちが力を合わせて乗り越えてきたように、次は私たちの世代が、一つになって首里城の再建を支える。

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 ▼さかぐち・あやこ 大阪府出身。2013年、琉球新報社入社。記者交換制度で19年4月より1年間、社会部勤務。新報では沖縄戦や基地問題を担当。

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