「菊の防給」を読み解く ビルマ戦記を追う<39>

西日本新聞 文化面

 縁の下の力持ち的な存在にもう少し触れておきたいと思ったので本書も取り上げることにする。第十一防疫給水部の部隊史である。編者として「菊の防給編集委員会」と記されている。今更の感はあるが念のために説明しておくと、「菊」は久留米第十八師団の兵団文字符で「防給」は防疫給水部の略である。

 部隊史の例に漏れず、記述の範囲が広い。広東、マレー、ボルネオと行動概要が記され、寄稿が肉付けしている。

 第十一防疫給水部は、ビルマにおいても様々(さまざま)な障害を克服しつつ活動を続けた。天然痘対策で痘苗を製作しようとしたところ、すでに作っている方面軍の顔に泥を塗るなとお叱りを受けたこともあったという。その寄稿者は「痘苗は生き物だ。制空権のない友軍が夜間列車やトラックで如何に急いで持って来ても、われわれの手に入る時には殆(ほとん)ど無効の状態になっている」と嘆いている。いろいろあって師団における痘苗製作は最終的には行われ、天然痘の爆発的流行は防げたのだが、面子(めんつ)を重視する軍隊もまたひとつの難敵であったことが分かる逸話である。

 以下、苦労等を文字数の許す限り並べる。

 ――飲食店の衛生度を調べもしたので店の人に嫌な顔をされた。

 ――牛の口蹄疫(こうていえき)に奔走した。

 ――女性を診るおり、青年男子たちに監視された。

 ――予防接種の際に腕をさらしたがらない女性もいた。

 ――水を届けるため戦闘中の第一線にも向かった。これを火線給水と言った。

 ――死体埋葬の必要から撤退のしんがりのような形になったことがある。

 ――籠城戦となったミイトキーナでは不慣れな戦闘任務にも従事し、同地の分遣隊は一名を残して玉砕した。

 ――カテーテルが失われ、パパイヤの葉柄を工夫代用した。

 (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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