生存者「つらくても生きる」 釜山射撃場火災10年 長崎の遺族「兄は戻らない」

西日本新聞 社会面 前田 絵 坪井 映里香 西田 昌矢

 韓国釜山市の室内射撃場で2009年、日本人観光客10人を含む15人が死亡した火災から14日で10年を迎えた。唯一、命を取り留めた笠原勝さん(47)と、兄を亡くした島田順太さん(45)=いずれも長崎県雲仙市在住=が長崎市内で報道各社の取材に応じ、火災当時の状況や今の心境について語った。

 火災は09年11月14日、釜山市のガナダラ実弾射撃場で発生。旅行中だった笠原さんや島田さんの兄の明さん=当時(37)=ら中学の同級生9人が巻き込まれた。

 同級生の1人が射撃中に爆発のような火災が起き、出入り口近くにいた笠原さんは、何とか逃げることができたという。やけどを負って現地で入院中、おぼろげな意識の中で他の8人全員が亡くなったことを知らされた。「当時は生き残ったことが嫌だった」。その後、手に皮膚を移植するなどの手術を受け、今も後遺症があるという。

 島田さんは雲仙市で新聞販売店を経営しており、火災発生翌日に「兄たちの記事が掲載された新聞を配るのがつらかった」。兄とは釜山市の病院で面会できたが、火災から13日後に帰らぬ人となった。

 事件直後、メディアの取材で自宅の電話とインターホンをひっきりなしに鳴らされたとして、「家族が一番不安なとき、取材攻勢があったのが一番苦痛だった」とも振り返った。

 10年がたち、犠牲になった同級生の子どもたちは高校生や大学生に。笠原さんは「子どもたちの成長を見守ることが生き残った自分の使命と思えるようになった」と話す。島田さんは今も年1度、釜山市を訪れて現場近くの住民に当時の状況について聞いて回っている。「兄が37歳で亡くなった。そのことは一生変わらない」と話した。 (西田昌矢、坪井映里香)

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「二度と起こさぬ」韓国、官民で対策

 【釜山・前田絵】日本人観光客10人を含む15人が死亡した韓国釜山市の室内射撃場火災から10年。韓国ではこの火災を教訓に、スプリンクラー設置義務の対象を室内射撃場などに拡大。現場の商店街も「二度と悲劇を繰り返さない」と防火対策に取り組んでいる。

 火災現場となった釜山市の「アリラン通り」は屋台や土産物店などの商店が約1キロにわたって並び、細い路地が複雑に交わる。

 射撃場があった建物の2階は現在、革製品の専門店が入居する。同店の趙問株(チョムンジュ)代表(61)は「犠牲者を思うと胸が痛い」と毎年、市内の寺で供養を行う。近くのかばん店には火災の直前、犠牲者数人が立ち寄り、店主の李相南(イサンナム)さん(65)と会話していた。「彼らは『後でまた来ます』と言って射撃場に行った。あの時、引き留めていれば…」

 火災を受け、韓国では官民で防火対策を強化。政府は2010年に法令を改正し、スプリンクラーや防火扉などの設置を義務づける施設に室内射撃場やマッサージ店などを加えた。

 アリラン通りも10年に商人会を組織し、対策に乗り出した。路上にはみ出した商品の陳列を制限し、消防車の進入路を確保。全店舗に消火器を配備し、消防訓練を毎月行っている。通りの一角に音声ガイド付きの消火器10本を常備し、誰でも使えるようにした。

 同商人会のシンチャンシク会長(59)は「10年前の悲劇を目の当たりにし、小さな火も絶対に許さないという使命感がある。日本人観光客には安心して遊びに来てほしい」と語った。

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