「月白の道」を読み解く ビルマ戦記を追う<50>

西日本新聞 文化面

 私の生まれた昭和四十五年に出版された本である。著者は第五十六師団に軍医として属していた丸山豊氏で、同氏は詩人として知られている。

 本書はミイトキーナ撤退の責任を取って自決した水上少将に関して詳しく記述されている点で貴重なのだが、残念ながら本随筆でそれに触れることはできない。自決に至る背景は込み入っており、誤解を招かずに説明するだけの筆力が私にはない。よってここは開き直って個人的なことを書きたい。最終回くらい随筆らしい随筆になってもよかろう。

 丸山豊氏は久留米の出身である。私が久留米に定住したのはまったくの成り行きだが、どういうわけか小説を書き始めたので丸山氏は文筆における先達ということになる。しかしながら丸山氏は、小説に対する厳しい意見を「月白の道」のむすびで述べている。

 ――私は、小説をあまり好まない。小説のもつしらじらしい虚構が、とかく鼻につくのである。

 読んだのは十年ほど前だった。私は「月白の道」を書棚の目立たぬ場所へ押し込んで忘れることにした。ところが五年ほど前、思いがけない形で丸山氏の名前が視界に入った。鞍手郡小竹町にある兵士・庶民の戦争資料館を訪ねたときのことである。壁に掛けられた「苔(こけ)むす友を忘れまじ」という書に丸山氏の署名がなされていた。

「当館をご訪問くださったことがあるのです」

 資料館初代館長のご子息、武富慈海氏がそんな説明をしてくれた。初代館長の武富登巳男氏と丸山豊氏の並んでいる写真までが館内には展示されていた。

 ここでも丸山豊氏は「先達」なのだった。初めて見るその姿に私は萎縮した。どうあがこうと私は戦争を知らぬ人間である。そして小説を書く人間である。書棚から引っ張りだした「月白の道」を目立つ場所へ移動させ、その後の執筆の戒めとし、さしあたって現在に至っている。

  (こどころ・せいじ、作家)

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古処誠二(こどころ・せいじ) 1970年生まれ。高校卒業後、自衛隊勤務などを経て、2000年に「UNKNOWN」でメフィスト賞を受賞しデビュー。2千冊もの戦記を読み込み、戦後生まれながら個人の視点を重視したリアルな戦争を描く。インパール作戦前のビルマを舞台にした「いくさの底」で毎日出版文化賞と日本推理作家協会賞をダブル受賞。直木賞にも3度ノミネートされている。

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