博多引き揚げ 21歳継承 80代中心「集い」参加、体験聞きHPで紹介 福岡女子大生の2人

西日本新聞 社会面 小林 稔子

 太平洋戦争の終結から約3カ月たった1945年11月24日、福岡市の博多港に「引揚援護局」が設置された。戦時中に中国や朝鮮半島に渡った人たちの引き揚げを受け入れる機関で、閉じるまでの1年半に全国最多規模の約139万人が同局を通じて祖国の地を踏んだ。あれから間もなく74年。市民団体「引揚げ港・博多を考える集い」のメンバーの女子大学生2人が、「引き揚げ」の記憶を風化させまいと継承に取り組んでいる。

 2人は同市の福岡女子大国際文理学部3年、竹山葵さん(21)と村田ももさん(21)。集いへの参加は昨年、引き揚げについて1年間学ぶ大学のプログラムの第1期生になったことがきっかけだ。

 昨夏、同市の市民福祉プラザにある引き揚げ資料の展示コーナーに足を運んだ。当時の資料や写真など約120点が並んでいたが、その後、2人が訪れた引き揚げ港の京都府舞鶴市や長崎県佐世保市の資料館に比べ、「奥まった場所にあり、追いやられている感じがした」(村田さん)。

 祖父母が引き揚げ者の竹山さんも、展示の充実や語り部の養成を福岡市に訴えてきたが、なかなか改善は進まない。「舞鶴では『引き揚げの日』も制定され、市が協力的だった。福岡は都市開発など未来にばかり目を奪われていないか」

 集いには引き揚げ者など約100人が参加するが、中心メンバーは12人ほどで多くが80代。展示会の開催や証言集の発行に取り組んできたが、高齢化に伴い月1回の定例会の参加者も年々減少している。

 メンバーの一人、福岡市の倉地弘子さん(84)は中国東北部の旧満州・奉天(現瀋陽)生まれ。旧ソ連軍の侵攻に震えながら母と叔母の3人で博多港に引き揚げた。若者2人の参加に「すごく頼もしい」と顔をほころばせながらも、集いの継続に危機感を抱く。

 プログラムは今春終わったが、2人とも集いに残った。大学OBの引き揚げ者に体験を聞き取ってドキュメンタリーを制作するほか、竹山さんは会のホームページ(HP)作りに励んでいる。引き揚げの歴史や活動紹介、体験者の話などを盛り込み、当時の写真も掲載する。HPは年内に完成させる予定だ。

 「メンバーには、誰かに託さないと引き揚げの歴史や記憶が消えてしまうとの思いが強い。それに応えたい」。2人は福岡に確かに存在した過去と向き合い、未来につなごうとしている。 (小林稔子)

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