アイドル編<441>真璃子(中)

西日本新聞 夕刊 田代 俊一郎

 福岡出身の歌手、真璃子は1986年、17歳のときに「私星伝説」で念願のデビューを果たした。10歳ごろに「歌手になりたい」と志した世界がようやく目の前に広がった。真璃子は喜びと同時に覚悟を決めた。

 「歌えることがまず、うれしかったです。売れるまで、10年間は絶対に福岡の実家に帰らないと自分に誓いました」 

 この年は4枚のシングルレコードを発売した。3カ月に1枚のハイペースだ。それは真璃子に対する所属事務所、レコード会社の期待感の表れでもあった。作詞、作曲はヒットメーカーと呼ばれる顔ぶれだった。真璃子は当時を次のように振り返る。 

 「とにかく、賞レースが多かった」 

 賞とは日本レコード大賞など音楽賞のことだ。当時は大小さまざまな音楽賞があり、そこでの受賞はレコードの売り上げを含め強いアピール力があった時代だ。

 「賞レースを考えての売り出しが事務所の戦略だったと思います。10を超える新人賞をいただきました」 例えば3枚目の「夢飛行」(作詞・松本隆、作曲・筒美京平)は86年の日本レコード大賞の新人賞を受賞した。最優秀新人賞はアイドルグループの「少年隊」だった。 

 真璃子の歌はアイドル歌謡のジャンルではあったが、周りのアイドル歌手を見渡しては「おこがましい」とも感じていた。 

 「かわいい人ばかりで、少し私と違うかなと思っていました」 

   ×    × 

 真璃子が新鮮に感じた場所の一つはレコーディング室だった。通常、新人時代は歌入れのときにしかその部屋には入らない。真璃子は歌入れだけではなく、ミュージシャンだけの音入れのときにも自ら頼み込んで、よく録音室に出入りした。

 「歌がどのように生まれ、まとまった形になっていくのか。その過程を見ることは印象に残ったし、大いに勉強にもなりました。このことは後の歌の人生にも生きています」 

 目標はオリコンのベスト10入り。2枚目のシングル「恋、みーつけた」は「11位か12位になったと記憶しています」と語った。結果的にはこの曲がベスト10に一番近い数字を残したことになる。 

 88年にフォーライフレコ-ドからポニーキャニオンに移籍、真璃子の音楽スタイルが変化する。

  =敬称略 

  (田代俊一郎)

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