聞き書き「一歩も退かんど」(23) 35回目の聴取で逮捕 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 私の親戚で鹿児島県議だった中山信一の逮捕から一夜が明けた2003年6月5日、入院で中断していた私への取り調べが再開されました。今度の取調官は旧知のT警部補でした。

 前年の6月、県警は外国貨物船の船員らが末端価格3億円を超えるコカイン5キロを志布志港に密輸した事件を摘発。T警部補は捜査班の一員として、私が営む「ビジネスホテル枇榔(びろう)」の別館に3カ月ほど宿泊したのです。短パンやヘルメットで変装して港に張り込みに出る前に、毎朝、私が作った朝食で腹ごしらえしていました。

 顔見知りで私を揺さぶる狙いでしょうが、私は頑として買収など認めません。T警部補から「これ(うその調書)にサインしたら帰れるがな」と促されても「なら自分の名前を書かんな」とはねつけました。

 そんなやりとりの末にT警部補が怒って退室したある時、補助官の若い刑事が寄ってきて言いました。「自分の尊敬する上司から、枇榔さん(私のこと)はそんな悪事を働く人じゃないから、そのつもりで対応しろよ、と言われました」。うれしかったですね。あの若い刑事さんは今、何をされているのでしょうか。

 T警部補の取り調べでは追及内容が大きく変わります。最初は焼酎の供与でしたが、今度は中山派の買収会合が志布志市四浦(ようら)地区の懐(ふところ)集落で開かれて私が司会を務めた、というのです。県警は逮捕した懐の住民を責め上げうその供述をさせ、買収会合の構図を描いていったのでしょう。

 T警部補は「四浦の人はみんなおまえを恨んどる。おまえが今の状況で四浦に行けば、刺されるぞ」と言います。私は潔白ですから「なら今から行くが」と立ち上がると、慌てて「刺されたらおいの責任になる」と止めるのです。中山に容疑を認めるよう諭す手紙を書き、「最後に川畑と書け」と迫りもしました。

 そして7月24日、志布志署で35回目の聴取。「認めんな」と迫るT警部補に「それはでけん」と答えると、いきなり机越しに私の両手をぎゅっと握り1分ほど離しません。机に両手をついて頭を下げると、何も言わずに出ていきました。

 入れ替わって別の刑事が来て、目の前に手錠をガシャンと置きました。「逮捕な」と聞くと「そうだ」。午前9時35分、私の両手に手錠がかけられました。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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