「ハンセン病偏見で死刑に」 差別法廷、願う再審 菊池事件巡り20日結審

西日本新聞 社会面 和田 剛 綾部 庸介

 ハンセン病元患者家族への補償を巡る法律が成立し、あらためて偏見や差別の解消がうたわれるなか、重い歴史と現実を今に問う事件がある。かつてハンセン病患者の裁判を隔離施設で行っていた「特別法廷」で、殺人などの罪に問われた男性が無実を訴えながら死刑判決を受け、執行された「菊池事件」。違憲の疑いがある特別法廷で裁かれたのに、検察が再審請求しないのは不当だとして、元患者6人が国を訴えた訴訟が20日、熊本地裁で結審する見通しだ。事件現場となった熊本県菊池市の山村を、地元出身の田中信幸さん(68)と歩いた。

 「遺体は、そこの草むらに倒れていたそうです」。ササと雑木が茂る細い道の脇に、現場はあった。事件が起きたのは1952年7月6日夜。村役場の元職員が刺殺された。数百メートル離れた杉林には、凶器の短刀を洗ったとされた池。どちらも車道から離れ、人けのない寂しい場所だった。

 事件発生から6日後。国立ハンセン病療養所菊池恵楓園から逃走していた男性が逮捕された。行き止まりに追い込まれ、警察官2人から銃撃されて右腕を負傷したという。その場に足を運ぶと、田んぼが広がり、歩いてすぐだったという男性の実家は既になかった。「逃げられないのに銃で撃つとは。ハンセン病患者だという差別があったからでは」。田中さんは、厳しい目を向けた。

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 遺体発見現場から数百メートルにある家で、田中さんは生まれた。事件の記憶はない。小学5年の頃、大人たちが声を潜め、男性の死刑執行について話していたのをかすかに覚えている。

 判決に疑問を持ったのは90年代。熊本大で学生運動に没頭し、社会人になってからは平和運動に携わった。偶然、菊池事件の資料を目にして驚いた。「死刑になった男性も、捜査で証言した人たちも皆、地元の人だったから」

 男性の裁判は恵楓園や隣接する熊本刑務所菊池医療刑務支所の特別法廷で開かれた。弁護団によると、被告以外は白い予防着にゴム手袋。調書をめくるのに火箸が使われた。法曹三者ともに「早く終わらせたい」と臨んだという「密室の法廷」は偏見に満ちていた。

 関係者の供述は変遷を重ねた。被害者を26カ所も刺した凶器とされる短刀からは、指紋も血痕も検出されていない。「木製の柄からも血痕は出ていない。洗って落とせるはずはないのに」。田中さんは疑問を拭えないでいる。

 弁護団は裁判記録などから「無実は明らか」とし「公平な裁判を受ける権利が侵害され、憲法に違反している」と訴えている。

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 「冤罪(えんざい)だと明らかにするべきではないか」。田中さんは事件当時を知る父(2006年死去)に詰め寄ったことがある。すると逆に懇願された。「お願いだから、それだけはやめてくれ」。日中戦争に出征した父に戦争責任を問うた時は真剣に答えてくれた。その父が無言を貫き、理由さえ言わずに逝った。親戚や知人に聞いても同じだった。

 胸を突かれた資料がある。恵楓園入所者自治会の機関誌「菊池野」の1966年9月号。ラジオ取材に答えた、男性の大叔母の言葉が記されていた。「らい病ならば、帰ったっちゃ仕事も出来まっせん。死刑になった方がいいと、言いおりました」

 弁護団によると、根強い差別への不安が拭えず、男性の遺族は再審請求にも踏み切れないでいるという。事件をこのまま風化させてはならないと、田中さんは思う。「ハンセン病への差別が、捜査や裁判をゆがめたのではないか。再審で歴史をただすべきだ」 (和田剛、綾部庸介)

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【ワードBOX】菊池事件

 1951年8月、熊本県菊池市の旧村役場の元職員男性宅にダイナマイトが投げ込まれた殺人未遂事件と、52年7月に元職員が殺害された事件。警察は「ハンセン病患者だと県に通報した元職員を逆恨みした」として、患者とされた当時29歳の男性を逮捕。裁判は国立ハンセン病療養所菊池恵楓園内などの「特別法廷」で行われた。男性は無実を訴えたが死刑が確定。3度の再審請求も退けられ、40歳だった62年9月に死刑が執行された。特別法廷を巡っては2016年4月、最高裁が違法性を認め謝罪している。

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