本当は痛かった三国志 上別府 保慶

西日本新聞 オピニオン面 上別府 保慶

 日本では29~40歳の男性に発症例が多いという「群発頭痛」は、頭の中の動脈が炎症を起こし、目の奥をえぐるような痛みに襲われる病だ。大酒家やヘビースモーカーがなりやすいらしい。お心当たりの方は気をつけた方がいい。

 中国の三国時代に活躍した曹操も頭痛に悩み、史書「三国志」には「発作が起きると目がくらみ心が乱れた」という意味の記述がある。NHKの番組「偉人たちの健康診断」では、曹操はこの群発頭痛だと専門医が見立てていた。

 曹操は確かに酒を好んだ。有名な詩を残している。

 「対酒当歌 人生幾何」

(酒に対してはまさに歌うべし 人生いくばくぞ)

 酒を飲む時は、大いに詩を吟じたいものだ。何しろ人生ってやつは短いものだから-という意味だ。

 短いといいながら曹操は数えの66歳まで生き、当時としては長命の方だった。ただし酒では痛みはやまず、最後までこの持病に苦しんだ。今から10年前に曹操の墓と認定された中国河南省安陽市の「西高穴2号墓」からは、頭痛用の石の枕が見つかっている。

 群発頭痛の発作は寝ている間に起きやすい。この石枕は中央が丸くへこみ、そこに首を当てて寝ると神経を冷やして痛みを和らげたという。

 曹操には華佗(かだ)という名医が仕えていた。「後漢書」によると、麻沸散(まふつさん)という麻酔を使って外科手術まで行い、ドラマのドクターXこと、大門未知子もかくやの腕だった。曹操の頭痛は鍼(はり)で止めていた。

 しかし華佗は、曹操が自分を士(知識人)として遇さず、単なる使用人としてしか扱わないのが不満で、郷里に帰った。怒った曹操は華佗を捕らえ、側近のとりなしも聞かずに殺してしまった。

 このいきさつは中国文学者の高島俊男氏が書いた「三国志 きらめく群像」(ちくま文庫)に詳しい。曹操は群発頭痛がもたらす激高ゆえに、後先を考えなかったようだ。

 独裁者ヒトラーは戦局が行き詰まる中でストレスをため込み、悪徳医師のモレルにアヘン系の薬剤を頻繁に処方され、さらに判断力を失った。

 曹操の場合は本来、合理的な精神の持ち主だったのにもかかわらず、病ゆえに墓穴を掘ったというわけだ。中国史家には、曹操が天下分け目の「赤壁の戦い」の際に、名医不在のために判断ミスを重ねて負けたという推論がある。

 九州国立博物館(福岡県太宰府市)で開催中の「三国志」展。石枕は来ていないが、曹操墓の出土品は多い。健康というものの重みを思い浮かべつつ、見ていただければ。

 (特別編集委員)

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