平野啓一郎 「本心」 連載第74回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 ベランダと合せて、七つあった鉢は、辛うじてまだ生きていたが、あまり元気でなく、日に当てようと外に出した小さなガジュマルは、葉が茶色になっていた。

 僕は、ネットで見た、コーヒーの滓(かす)で作る肥料を与え、三つの鉢の土を替えた。

 ドラセナ・コンシンネの細い枝は、下に向けて曲げられたあと、どちらに向かって伸びてゆくべきか、その方角を見失ったように、宙を彷徨(さまよ)っている。赤い縁取りのある、笹(ささ)よりも更(さら)に細長い葉が、その先端で、膨らみかけたまま垂れていた。

 かたちが面白くて、母が気に入っていたのだったが、極端に曲がった枝のうち、二本は葉を落として枯れてしまい、新たに伸びてきた枝は、母が、「かわいそうだから」と、そのまままっすぐに伸ばしてやっていたので、全体的に不格好だった。

 天井につくほどに伸びた一本の枝を、僕はネットの「育て方」の情報に従って、切り落とすつもりだったが、<母>に相談すると、やはり「かわいそうだから」と止められた。

 一仕事終え、ソファに腰掛けて、ぼんやりとそれを眺めながら、僕は、今朝の<母>とのやりとりを思い返した。今日一日、胸の裡(うち)が晴れなかったのは、そのせいだった。

 三好とネットを介して会話をしてもらうようになってから、<母>は目に見えて快活になっていった。

 最初の再会の時、彼女は、僕と同様に涙を流したと言った。それを聞いて、僕は彼女に一層、心を開いた。一度だけの依頼のつもりだったが、彼女自身が、時々、<母>と話がしたいというので、そうしてもらうことにした。

 普段から仮想空間に入り浸っている彼女は、僕よりも適応が早く、アクセス記録を見ると、その後、三日に一度は<母>と会話をしていて、長い時には、二時間にも及んでいた。

 母は生前、仕事のことをほとんど話さなかったが、

「そう言えば、昔、三好さんと、修学旅行の男の子が連れてきたハムスターを、一緒に探したことがあってねえ。こっそり連れてきてて、夜中に泣きながらウロウロしてるから、かわいそうになって。」

 と、初めて聞くようなことまで語った。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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