引き揚げ語る175点 赤紙や孤児名簿展示 博多、初の巡回展

西日本新聞 社会面 小林 稔子

 太平洋戦争後、中国や朝鮮半島から日本へ引き揚げた人たちの関係資料などを展示した「平和祈念展in福岡」が21日、福岡市博多区の福岡アジア美術館で始まった。平和祈念展示資料館(東京)が毎年巡回展を開いており、福岡での開催は初。入場無料。26日まで。

 会場では、「戦後強制抑留者」「海外からの引揚者」などのテーマで同資料館の資料を紹介。召集令状(赤紙)や、亡くなった赤ん坊の布おむつで作った子ども用ワンピースなど175点が展示されている。

 このうち52点は福岡市の所蔵で、国内最大級の約139万人が引き揚げた博多港の関係資料。引き揚げで孤児となった子どもたちのかつての孤児院「聖福寮」(同市博多区)の孤児名簿やアルバムもある。

 解説会で学芸員の高倉大輔さん(32)は、寮での生活を描いた紙芝居について説明し、太ることが楽しみだったという子どもたちが体重計に乗る様子を描いた絵を紹介。「福岡の地元にこれだけ苦労した引き揚げ者がいた歴史を若い人たちにも知ってほしい」と話していた。

■84歳「母に会えた」遺品提供の女性

 「母に会えた気分です」-。福岡市の倉地弘子さん(84)は声を詰まらせながら、母親の名前が書かれ、褐色となった布製の「腕章」をじっと見詰めた。終戦後の1946年、中国東北部の旧満州から10歳で母親、叔母と博多港に引き揚げてきた。その際、母親が身に着けていた物で、約20年前に倉地さんが福岡市に提供していた。思わぬ“再会”に74年前の記憶がよみがえる。

 旧満州・奉天(現瀋陽)で生まれ、父親の仕事で西方の承徳に移転。45年8月、旧ソ連軍が侵攻してくるからと母と叔母の3人とともに、追われるように家を出た。行き先不明のまま詰め込まれた汽車で錦州の駅までたどり着き、汽車の中で終戦を知った。

 召集された父親の消息は分からず、錦州の学校で集団生活が始まった。たびたびやって来るソ連兵。「言い知れぬ恐怖におびえ、震えながら」の生活だった。仲間と民家を借り「絶対みんなで日本に帰ろう」と励まし合い、豆腐などを売り歩いて日銭を稼いだ。

 翌春、名前や身分証明番号が手書きされ、引き揚げ時に必要となる「腕章」が与えられた帰国直前。腕章を袖に縫い付けていた母親の上着が盗まれた。帰国できないと涙を流す母親。仲間で知恵を絞って本物に似せた腕章を作り上げ、無事に帰国を果たした。

 その思い出の腕章は、福岡市の市民福祉プラザ内に2011年に開設された引き揚げ資料の展示コーナーでは展示されていない。「もう見られないかも」と半ば諦めていた倉地さん。「また会いに来なきゃ」と笑顔で会場を後にした。 (小林稔子)

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