博多と寧波 その先を 古賀 英毅

西日本新聞 オピニオン面 古賀 英毅

 福岡市の櫛田神社に隣接する冷泉小跡地から11~12世紀の港跡とみられる遺構が今春、確認された。鴻臚館(同市中央区)に代わり博多が交易の主役となる時期のもので、博多の町の礎となったであろう貴重な遺構だ。

 この港の先にあったのが明州。現在の中国・寧波だ。杭州湾を挟んで上海の南側に位置する。7千年前の稲作集落・河姆渡(かぼと)遺跡があり、博多と海路でつながっていた宋代(960~1279)以降に文化的、経済的に発展した。

 日本との縁は深い。ある研究によると日本の茶は寧波周辺にルーツがあるそうだ。禅宗は茶と関係が深いが、臨済宗の祖・栄西と曹洞宗を開いた道元はいずれも寧波郊外の古刹(こさつ)・天童寺で修行した。

 2年前に訪れた時、境内でその解説文を見つけた。市街地の「麻雀(マージャン)博物館」には昔から日本語の解説板があった。中国の博物館をいくつか見学したが、日本語での説明文を見たのは寧波だけだった。

 2008年に開館した寧波博物館は、地下鉄工事中の福岡市・大博通りの写真を展示していた。中世博多のメインストリートだ。その下に展示された三つの石碑には「日本国太宰府博多津居住」などとある。博多に住んでいた宋人が故郷の寺に関わる造営に寄付したことを示す物だ。

 寧波で交易を管理した役所「市舶司」跡とされる所は小さな公園だった。玄関をイメージさせるオブジェに、当時の商人のやりとりが思い浮かぶ。「ここが博多とつながっていたのか」と涙が込み上げた。「福岡と交流を深めたい」。博物館で出会った現地の研究者の言葉も忘れがたい。

 交流の証しは日本にもある。博多遺跡群や鹿児島県の遺跡から出土していた瓦が材質や文様などから寧波製であることを研究者が15年、発表した。福岡をはじめ九州各地で確認されている石塔「薩摩塔」も石質から寧波との関係が指摘されている。

 冷泉小跡地の調査は続く。港跡以外にも交流を物語る物証が見つかるかもしれない。発見を機に、千年の時を経て寧波と博多の新たな交流が始まるといい。 (伊万里支局長)

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