始まりは「5千円のスリッパ」

西日本新聞 オピニオン面 永田 健

 最近、若手や中堅記者に私が見聞した政治や選挙の話をしていると、彼らが何やら「村の古老」を見るような目で私を眺めていることに気付く。

 無理もない。私が新聞社に入社した時、日本の首相は鈴木善幸氏で、田中角栄氏がまだ隠然と力を振るっていた。そんな時代から随分長く記者をやってきたものだと自分でも思う。

 今回取り上げるのは、今から36年前、1983年に実施された福岡県知事選である。村の古老の話と思って読んでいただきたい。

   ◇    ◇

 知事選の1年ほど前、亀井光知事(当時)の4期目に建設された福岡県知事公舎を巡り「豪華すぎるのではないか」という批判が突如、湧き起こった。

 建設費は約5億6千万円で、他県の例と比較して高額だった。さらに県民を驚かせたのは次々と明らかになった調度品の値段だ。当時の報道などによると、スリッパ1足5千円、くず籠1万5千円、コーヒーメーカー10万円、酒かんつけ器4万4千円-こうしたものが公費で購入されていた。

 公舎とはいえ、知事と家族の私的生活に使われる品物だ。バブルが始まる前、まだ日本人がぜいたくを覚える前の時代である。当時の物価水準や庶民感覚に照らして「ブランド品の5千円のスリッパ」のインパクトは大きかった。調度品の選択に知事夫人が関わった疑惑も取りざたされた。

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 福岡県知事選は戦後しばらく、自民党を中心とする保守陣営と社会、共産両党が主軸の革新陣営がしのぎを削ってきたが、67年に保守の亀井氏が初当選して以来4連勝。革新陣営は退潮を強いられ、79年の知事選ではダブルスコアで亀井氏に敗北していた。

 亀井氏は5選出馬の意向で、通常なら勝利確実の情勢だった。亀井氏は調度品買い取りで収拾をはかったが、この問題に「長期県政のおごり」と「私物化」を見て取った県民の怒りは収まらなかった。「5千円のスリッパ」が亀井県政批判の合言葉になった。

 翌年の選挙に革新陣営は九州大教授の奥田八二氏を擁立。奥田氏は「知事公舎に入居しない」を公約に掲げ、激戦の末に亀井氏を破った。投票率は76・5%の高さだった。福岡県で起きたまさかの「政権交代」。その始まりは「5千円のスリッパ」だった。

   ◇    ◇

 村の古老である私がこの話を思い出したのは、現在安倍晋三政権を揺るがせている「桜を見る会」騒動をきっかけに、動きの鈍くなっている脳が久しぶりに活性化したからだ。

 「長期政権」「私物化」などのキーワードで「桜を見る会」と豪華知事公舎問題は共通する。誰かが指摘して初めて重大さに気付く、という点も似ている。

 今後「桜を見る会」が、安倍政権にとっての「5千円のスリッパ」になっていくのか。首相の応援団は「たいした問題ではない」との言説を広めようとするだろうし、有権者の意識も変化している。これから先の展開はまだわからない。

 それにしても、庶民のまっとうな怒りを示した当時の福岡県民のパワーを思い起こす時、その世論と政治とのダイナミズムにある種の感慨を覚える。そして、ただ懐かしがっていていいのか、とも思い直すのだ。 (特別論説委員)

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