平野啓一郎 「本心」 連載第77回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 なぜ僕に頼むのだろうと、当時は思ったが、今思えば、その頃にはもう、僕以外にそれを言い出せないほど、教室で孤立していたのかもしれない。

 僕自身は、それに気づけないほど、級友たちと言葉を交わさなかったが。

 ケータイで手早く写真を撮ると、「ありがとう。」と上擦(うわず)った声で礼を言い、丁寧にタブレットを返却された。

 小柄で物静かな少女で、器量が良いのか悪いのかもわからないほど、地味な風貌だった。そういう子供は、大抵、透かし見られたその将来の姿から、かわいいだの、かわいくないだのと判断されるものだが、それほどの関心さえ惹(ひ)くことがなかったのではないか。

 発覚したのは、彼女を買った初老の男が逮捕され、そのケータイに、電話番号と写真とが残っていたからという話だった。

 

 一週間ほどして、彼女と同じクラスだった一人の英雄的な少年が、友人数人を集めて、抗議活動を始めた。教師たちと交渉し、「放校」という処分の撤回を求めて、職員室の前に、座り込むようになったのだった。

 僕は、最初に声を掛けられた数人には入っていなかった。しかし、二日目から、その座り込みに加わることになった。十五人ほどがいたと思う。女子は二人だった。彼らは、何も言わずに参加した僕に、当惑した様子だったが、英雄的な少年は、恐らく僕のことをまったく知らなかったが故に、「ありがとう!」と握手を求めた。

 通常なら、当然にメディアを通じて、問題を外部と共有すべきだったが、少女のプライヴァシーを守る必要から、僕たちの抗議活動は、職員室前の一塊の沈黙である以外になかった。プラカードもなく、教師以外には往(ゆ)き来のない場所だったので、噂(うわさ)の広まりも限定的だった。他学年の学生の多くは、何かが起きていることさえ知らなかっただろう。たまたま生徒が通りがかっても、怪訝(けげん)そうに見下ろされるのが常だった。

 中心的な学生たちは、少女との関係というより、真面目な義憤に駆られたようだったが、誘われてきただけという者、冷やかし半分という者もいて、一週間後の月曜日には、人数は男子ばかりの六人に減っていた。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化された。

マチネの終わりにの公式サイト

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