3万人祈り心一つ 信者らミサ「浦上、語り継ぐ地」

西日本新聞 社会面 野村 大輔

 殉教と被爆。二つの辛苦の記憶が刻まれた長崎で、3万もの人々が心を一つに平和を願った。爆心地近くの長崎県営野球場(長崎市松山町)であったミサ。参列者は長時間、大粒の雨に打たれながら教皇の到着を待った。

 午後1時半、教皇が到着する直前に空は青く晴れた。白い祭服が人々の目に飛び込んできた瞬間、「ビバ、パパ(教皇万歳)」の歓声に包まれた。

 1981年2月、ヨハネ・パウロ2世から洗礼を受けた松尾勇二さん(74)=長崎市=は涙を浮かべた。地元のバス会社で働き、がんとくも膜下出血を患った。雨の冷たさは気にならなかったといい、「きょうの雨も病気も、試練なのだと思う」と語った。

 38年前のミサで救護ボランティアを務めた森内浩二郎さん(67)=同市=は、禁教下も信仰を捨てず、1865年に信者であることを神父に打ち明けた浦上の潜伏キリシタンの子孫。冷水を浴びる拷問を受けながらも信仰を守った先祖を思うと、雨でぬれた服など気にならなかった。

 森内さんの父秀雄さん(故人)は被爆者。浦上の人々は宗教迫害と被爆という二重の苦しみを受けたことで「原爆は天罰」との心ない言葉を受けた。これを否定するため、故永井隆博士は浦上の犠牲で戦争が終わったとする「神の摂理」を説いた。信者の心を慰める一方で疑問も残した言葉だったが、38年前にヨハネ・パウロ2世が「戦争は人間の仕業」と述べたことで、信者の心は解放された、と言われる。

 教皇はミサで原爆被害について「多くの罪なき者の筆舌に尽くしがたい苦しみ」と言及。その言葉に勇気づけられたという森内さんはミサの後、こう話した。「平和の尊さを語り継ぐ上で、浦上は重要な地だと思えた」 (野村大輔)

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