被爆の記憶、世界へ 「人の過ち意識させる場所」

西日本新聞 社会面 華山 哲幸

 爆心地に花を手向け、あの日、原爆がさく裂した空を見上げた。ローマ・カトリック教会のトップとして38年ぶりに被爆地の長崎、広島を訪れた教皇フランシスコ。長崎では冷たい雨に肩をぬらしつつ、74年前、一瞬にして命を奪われた多くの犠牲者に祈りをささげた。演説では「核兵器のない世界は可能であり必要」と核廃絶を強調。殉教の地では市民とも触れ合い、ミサでは日本の信者と心を通わせた。

 午前10時すぎ、冷たい雨が降りしきる中、教皇フランシスコを乗せた車が長崎市の爆心地公園に着いた。38年前の故ヨハネ・パウロ2世は訪れていない爆心地。降り立った教皇は迎えた田上富久市長に「ありがとう」と笑みを見せた。

 爆心地の同市松山町は原爆で300世帯がほぼ全滅。爆風で家屋は押しつぶされ、熱線で数千度に達した地表で人々は焼かれた。骨すら残らなかった人もいる。

 原爆落下中心地碑まで参列者の間を歩く教皇。その距離はわずか数十メートルだが、地面の下には、今も犠牲者が眠っているかもしれない。そんな場所を約5分間かけて、一歩一歩踏みしめて歩いた。碑に献花すると、花輪に手を添えたまま数十秒間目をつむった。目を開け、碑に目線をやり、空を見上げた姿は地上500メートルで原爆が多くの命を奪った日に思いを寄せているようにも映った。

 献花用の花輪を手渡した下平作江さん(84)は爆心地から800メートルで被爆。一帯の惨状を知る数少ない生き証人だ。自身は防空壕(ごう)で助かったが、自宅にいた母と姉を亡くした。祈る教皇の姿に「犠牲者の思いを実感してもらえた」。

 「この場所は、私たち人間が過ちを犯し得る存在であることを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます」。旧浦上天主堂のがれきから見つかった木製の十字架がそばに置かれた演台で、教皇はこう切り出した。スペイン語で読み上げた約13分間のメッセージでは、核兵器を含む武器が一層破壊的になっており、核廃絶に向け、すべての人々の「一致団結」を求めた。

 演説の最後には再び「この場所は、私たちをはっとさせ、(平和に対して)無関心でいることを許さない」と訴え、平和を忘れないための原点として今後も向き合うよう訴えた。

 高校生平和大使の一人で、火をともした棒を教皇に手渡す役を務めた内山洸士郎さん(16)は「一人一人に責務があるという言葉が印象的だった。(自らの)平和大使の活動を果たしていきたい」と誓った。

 演説を終えた教皇が再び車に乗るまでの間、会場には被爆者らでつくる合唱団「被爆者歌う会ひまわり」のコーラスが響いた。「もう二度とつくらないで、私たち被爆者を」 (華山哲幸)

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