本家 済州島オルレの魅力 10周年の祭典 九州の参加者も満喫

西日本新聞 前田 絵

 のどかな里山や美しい海岸を散策する韓国済州島(チェジュド)発祥の「済州オルレ」。地域資源を生かした息の長い観光振興策として注目され、2012年には九州に伝わって「九州オルレ」が始まった。本家本元を体験しようと、済州島で年に1度開かれるオルレの祭典に参加した。

 済州島は朝鮮半島南端からさらに南へ約90キロの沖合に浮かぶ。10月31日、快晴の空の下、島南部の西帰浦(ソグィポ)市にある薬泉寺(ヤクチョンサ)に国内外から数千人のオルレ愛好家が集まった。今年で10周年を迎えた祭典は11月2日までの3日間、三つのコースを歩き、道中で催される運動教室や音楽会など多彩な活動を楽しむ趣向だ。記者は初日と2日目に参加した。

 初日の出発点となった同寺の境内にはハロウィーンに合わせて仮装した参加者もいて、高揚した雰囲気に包まれた。

 午前10時ごろ、出発。黒い石垣に囲まれたミカン畑が沿道に広がる。石垣はマグマが冷えて固まった火成岩、ミカンは地元の特産品。いずれも島を象徴する景色だ。ミカン畑の向こうには穏やかな海が輝き、自然の織り成す色彩豊かな風景に心が和む。

 海岸に出ると、海に突き出た絶壁に巨大な柱状の岩石が無数に張り付いたような「柱状節理帯」が現れた。火山から流れ出た溶岩が海で急速に冷やされてできたという。

 小高い休火山「ベリンネオルム」へ。山頂に着く頃には息が上がったが、心地よい。下山すると地元婦人会がビビンバを振る舞っていた。ちょうどお昼。しばし足をとどめ、舌鼓を打つ。

 後半は森を抜け、ホテルなどが集まる観光団地を過ぎ、秋風に揺れるススキ野を歩く。足腰は痛み、出てくるのは弱音ばかり。午後4時半ごろ、足を引きずるようにゴール。約14キロの道のり。立ち飲みブースで甘いマッコリにありついた。疲れた体に染み渡った。

 祭典には九州オルレの関係者も参加し、ゴール地点でパンフレットを配っていた。福岡県久留米市観光・国際課の秋吉悠貴さん(24)は「ごみを拾いながら歩く参加者の姿に感動した。愛されるコースづくりが必要だと感じた」と運営のヒントを得た様子。同県香春町観光協会の桃坂豊事務局長(52)は済州オルレのもう一つの側面に注目した。「済州オルレを参考に、訪問客に地元でお金を使ってもらう仕組みを作りたい」

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 オルレとは済州島の方言で「表通りから家までの狭い路地」のこと。島出身の徐明淑(ソミョンスク)さん(62)が2007年、自身が経験したスペインの巡礼路から着想を得て、島内でコース作りを始めた。徐さんは「会社を辞めてオルレを始めた頃は、母に『ばかじゃないの』と言われた」と振り返る。

 09年にテレビ番組で紹介されるとブームに火が付き、11~14年は年間100万人超がオルレを体験しに島を訪れた。島内に整備したコースは26(総延長約425キロ)に増え、経済効果は年間2500億ウォン(約230億円)以上という。コースの維持管理などを担うボランティアは千人に上る。

 徐さんは社団法人「済州オルレ」を設立。16年には病院跡の建物を活用して「旅行者センター」を開設し、宿泊所や食堂、記念品販売などを運営する。

 オルレを始めて12年。活動は曲がり角を迎えている。訪問客数は13年の約119万2千人をピークに減少が続き、18年は約57万6千人と半減した。鳥インフルエンザや口蹄疫(こうていえき)の流行で一部のコースを閉鎖したことや、韓国各地にオルレのコースが整備されたことなどが背景にあるという。

 九州オルレを主導した済州オルレ日本支社長の李唯美(イユミ)さん(40)は「(済州オルレの)後援会会員や全コースを踏破する常連客は増えている。不安感はない」とした上で「もっと若者の参加者を増やしたい」と話す。今春から、写真家と一緒に歩きながら撮影術を学ぶなど若者向けの企画を月替わりで開催している。

 コースが通る地域を経済的に潤すことにも力を入れる。地域と企業を結んで新たなビジネスを生み出す事業や、特産品の開発支援に取り組む。これまでに都市部向けの農産物宅配事業や、地元の緑茶を使ったスイーツが誕生した。李さんは「オルレを続けるには自然を守り、参加者も住民も幸せになることが大切。百年、千年と続くよう取り組みたい」と語った。 (済州島で前田絵)

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