アイドル編<442>真璃子(下)

西日本新聞 夕刊

 歌手の真璃子は少女時代から歌うことだけでなく、書くことも好きだった。デビュー前からその日の出来事や感想をノートにつづった。真璃子は「書くのが習慣化していました」と語る。その延長線上として作詞を初めて担当したのは1987年発売した6枚目のシングルのB面「ありがとう あ・な・た」である。

 「いろいろとサポートしていただいたスタッフの方々への感謝の気持ちを込めて書きました」 

 作曲はロックバンド「アルフィー」の高見沢俊彦だ。

 「アルフィーの曲はよく聴いていたので、うれしかったです」

 真璃子はレコード会社を移籍した後、さらに積極的に作詞活動を続ける。これは「脱アイドル」への路線でもあった。加えてラジオのパーソナリティーを担当した。NHKの大河ドラマ「春日局」などにも出演するなど徐々に幅を広げつつあった。歌手に、女優。あこがれの山口百恵と同じ道筋であった。仕事が楽しかった。その一方で、活躍の舞台が広がるほど不安感も芽生えた。 

 「周りに比べて私には足りないものがあるように感じた。もう一度、自分を見つめ直し、勉強し直す必要がある」 

 その底流には業界では避けて通れない現実的な数字もあった。レコードの売り上げである。 

 「もっと売れていいと思うのに伸びない。壁があった」 

   ×    × 

 1996年に福岡に帰郷した。約10年の東京生活で、21枚のシングル、6枚のオリジナルアルバムを残した。その後、福岡で結婚、出産した。それから約十数年。再び歌い始めたのはSNS(会員制交流サイト)がきっかけだった。かつて真璃子に楽曲を提供した作詞家の松井五郎、作曲・編曲家の山川恵津子との縁が復活した。このコンビによるミニアルバムを2016年にリリースした。その中に収録されている「また、歩きはじめましょう」は、再出発への素直な感情だ。真璃子は歳月の中でなにを見つめ直したのか。 

 「レコードの売り上げなどさまざまなしがらみを気にせずに、ただ純粋に歌を歌いたいということでした。歌が心から好きだ、ということがわかりました」

 以後、毎年、新作を発表し、ライブも重ねている。12月1日午後4時から福岡市市中央区のライブハウス「スクエアガーデン」でライブを開く。アイドルから歌手に成長した真璃子の姿を見ることができる。

 =敬称略 

 (田代俊一郎)

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