名所から消えたコスモス…看板残るだけ 休耕田で復活プロジェクト

西日本新聞 北九州版 石黒 雅史

 行橋市の「市の花」はコスモス。さぞかし鮮やかな花が咲き乱れる街なのだろうと想像するが、どこを探してもコスモスの名所は見つからない。かつては市中心部を流れる今川の河川敷に咲き誇ったと聞くが、今ではほとんどなくなった。なぜ消えたのだろうか-。

唯一無二の人材が

 市役所に近い今川渡橋のたもとに、白い看板が立っている。「私たちの市の象徴植物コスモス」のタイトルで「今川河畔600メートルに、市民の手によって育てられています。大切にしましょう」。1997年3月、県と市の連名が記してある。だが周囲を見回しても、コスモスはない。

 「昔はきれいに咲いていたんだけどね」と懐かしむ声は多い。かつてコスモスを咲かせていたのは、近くに住む元国鉄職員の野田徳治さん(故人)だった。

 区長だった野田さんは、雑草が茂る河川敷がごみ捨て場になったり、性犯罪が心配されたりしたため、昭和40年代から1人で雑草を刈り、景観美化のため菜の花とコスモスを植えるようになった。今川渡橋から上流に向け豊国橋までの南側河川敷約600メートル。出勤前と帰宅後に毎日、休まず作業をしたという。次第に秋の花見名所として有名になった。

 遺族によると、20年近く前、野田さんが80代半ばのころ、自転車で転んで大けがをし、作業できなくなったらしい。それ以前からウオーキングや花見客が踏み固めるので花が育たなくなったと嘆いていたという。花があるとモグラが寄って来て防が弱くなるので、行政からストップがかかったという地元住民の証言もあるが、定かではない。

 河川敷は1989年に始まった夏祭り「こすもっぺ」の花火打ち上げ場所になるため、花は植えられなくなったという説もある。コスモスと「いなかっぺ」をもじった名のイベントのためにコスモスが消えたとすれば、皮肉な話だ。

 行橋の名所を1人でつくり育てた野田さんは2008年、92歳で亡くなった。

花への愛着は定着

 1966年に市の花をコスモスと定めた理由は、54年に1町8村が合併して誕生した市の成り立ちを、一つの芯に8枚の花びらがあるコスモスに重ねたためだ。コスモス畑が多かったわけではないが、花への愛着は市民に根付いている。

 市観光協会は2016年、名所を復活させるプロジェクトを始動。山手の津積(つつみ)地区に休耕田を借りてコスモスの種を植えた。観光協会イベント部会長の玉江秀章さん(70)は「3年続けたが、花は咲かせられなかった」と言う。新芽をシカに食べられ、イノシシに踏み荒らされたという。「地元の園児に種をまいてもらい、秋には祭りをすると約束したのに、実現できなかった」と悔やむ。

 そもそもコスモスは、毎年耕し、種をまき、人が管理しなければうまく育たない。まして動物に襲われればひとたまりもない。

 復活プロジェクトは今年、山手での栽培をあきらめ、海岸に近い今井地区の休耕田を借りて試験的に種をまいた。手入れはしなかったので整った感じはないが、花は咲いた。

 自信を得た玉江さんらは来年、本格的に手を入れコスモス園として整備するつもりだ。「市の花なんだから、市民が憩える名所をつくりたい」と玉江さんは熱く語る。近く大分県中津市の観光名所「三光コスモス園」に出向き、種のまき方や育て方、雑草処理法、美しい咲かせ方について専門家に教えを請う予定だ。

 (石黒雅史)

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