平野啓一郎 「本心」 連載第79回 第五章 “死の一瞬前”

西日本新聞 文化面

 現実の欠落のような、小さな空虚を守るその貝は、記憶の遠近法の効果で、僕の手に収まるほどの小ささのまま、彼方(かなた)の職員室前に蹲(うずくま)っている僕たちの姿に、そのまま重なって一つになってしまうのだった。

 

 梅雨入り前のある日、いつもの座り込みの場所に行くと、そこにはもう、僕以外、誰の姿もなかった。

 僕は、少女の処分が撤回されたのだろうかと思い、英雄的な少年にメッセージを送ったが、返事はなかった。その後、彼女の担任の教師にも確認したものの、「何も変わってない。」という返事だった。

 それ以後、僕は一人で職員室の前に座り続けた。

 何度か、英雄的な少年とも廊下で擦れ違ったが、彼は僕と目を合わそうとはしなかった。

 あの時、何があったのか? それは、未(いま)だにわからない。しかし、知るに値しない、つまらない経緯であることだけは、流石(さすが)に察しがついた。

 ともかく、彼が離脱したことで、抗議活動は瓦解(がかい)し、その意味を失った。にも拘(かかわ)らず、特段、教師たちと交渉するわけでもなく、無言で座り込みを続ける僕は、異様に映っただろう。

 担任が連絡し、母は驚いて、仕事を休んで学校に駆けつけた。

「朔也(さくや)、どうしたの? 朔也、……お母さんに話してごらん?」

 僕は、少女の名誉にかけて、決して事情を話さなかった。いや、彼女のためだけでなく、僕は母の前で、そういう人間でいたかったのだった。

 勿論(もちろん)、僕は、正義感から、座り込みを続けたのではなかった。他の学生と違って、ここに来た時から、僕には、もう自分の戻る場所のないことがわかっていた。

 随分と経(た)ってから、結局のところ、僕は彼女を愛していたのだと考えるようになった。そんな人間は、あの抗議活動の中で、僕だけだったと信じる。

 大抵の人間は、愛という概念をどこかで知り、自分がある時、不意に抱くようになった感情に、その名を与えるものだ。或(ある)いは、幾度か経験されたその萌(きざ)しから抽象されたところのものをそう呼ぶのか。

平野氏のメッセージ

私たちの生を、さながら肯定する思想を考え続けています。主人公は、愛する母親を亡くしたあと、仮想現実によって再現された母親と生活することになります。その過程で見えてくる母の本心と、自分の心の変化が主題です。乞うご期待!

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィール

 1975年、愛知県蒲郡市生まれ、北九州市育ち。東京都在住。京都大在学中の99年、デビュー作「日蝕」で芥川賞。「ある男」(読売文学賞)など。「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)は福山雅治さん、石田ゆり子さん共演で映画化され、11月1日に公開予定。

マチネの終わりにの公式サイト

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