「研ぎ屋」の腕を信じ 北佐世保駅

西日本新聞 長崎・佐世保版佐賀版 宮崎 省三

松浦鉄道 ひと巡り(2)

 「刃ば研いで差し上げましょうか。新品でも研いだ方が切れますけん」。松浦鉄道(MR)の北佐世保駅に近い佐世保俵町商店街。堀越刃物店の2代目、堀越忠二さん(62)と包丁を買った女性客の会話が弾む。

 俵町商店街は昭和初期ごろから発展した。旧海軍基地に程近く、佐世保駅へ向かう旧国鉄の北佐世保駅、内陸の大野駅(現MR左石駅)につながる軽便鉄道の上佐世保駅が便利だった。その歩みは、130年前の海軍佐世保鎮守府開庁を機に、急速に都市化した佐世保の近代史と重なる。

 人形店を営む佐世保俵町商店街協同組合の松川茂理事長(65)によると「昔からの住民に加え、海軍基地の影響で、さらに人口密度の高いまちになった」。今で言うベッドタウン。商機を求め、長崎県内外から多くの人が集まってきた。松川さんの祖父は、まだ商店街がなかった100年ほど前に、佐賀県鹿島市から俵町に来て商売を始めた。

 堀越刃物店は商店街が最もにぎわった1960年代に開業した。先代の忠城(ちゅうしろ)さんは佐賀県塩田町(現嬉野市)からの移住者。佐賀で修業した大工道具を研ぐ技術で勝負しようと、新天地に乗り込んだ。腕前は職人たちに認められ、店は繁盛した。

 長男の忠二さんは「高校生の頃には研ぎのまね事をさせられた」と話す。たくさんの大工職人が忠城さんを訪ねてくる様子を見ながら「この仕事でやっていける」と思い、親子二人三脚で店を切り盛りするようになった。

 職人が電動工具や替え刃式のこぎりを持つようになると、店で扱う商品は大工道具から包丁などの家庭用品に変わった。その家庭用品も、最近の消費者は量販店や100円均一店で安い商品を求め、使えなくなればすぐに買い替える。

 「毎日使う包丁はだんだん切れなくなるけど、研げば切れるようになる。100均の包丁でも、研げば切れ味は変わりますよ」。忠二さんは使い捨ての風潮を憂慮する。

 時代の変化という荒波を受けながら俵町で半世紀。今年9月、忠城さんが90歳で亡くなった。後継ぎもなく、店の前途は厳しいが、希少な「研ぎ屋」を求め、遠くは松浦市や佐賀県からも客が来る。周囲から「ホームページでも作ったら」と提案されたこともある。

 忠二さんは言う。「研いだ前後の切れ味の違いが分からないと、この仕事の良さは伝わりませんから」。信じるのは磨き上げた自分の腕のみ。

  (宮崎省三)

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