水俣病認定へ闘い続ける 被害者互助会・佐藤英樹会長

西日本新聞 熊本版 村田 直隆

 「公害の原点」とされる水俣病を巡り、公式確認から63年を経た今も患者認定申請が後を絶たず、棄却処分に納得いかない人や政治救済に漏れた人が訴訟を続けている。胎児・幼児期にメチル水銀に汚染されたと訴える水俣病被害者互助会の佐藤英樹会長(64)もその一人。司法では水俣病と認められたが、「行政に患者と認定されるまで闘う」と強い意志で臨んでいる。

 「被害者や患者のことをどう思っているのか。自分たちの責任を本当に感じているのか」。先月11日に熊本市で開かれた国の公害健康被害補償不服審査会の口頭審理。佐藤さんは、認定申請を棄却した県側に怒りをあらわにした。県側が、佐藤さんは幼少期にあまり水俣湾の魚介類を食べていないと主張したからだ。

 当時の食生活を推測で判断されたことに到底納得できない。佐藤さんは、水俣市南部の漁村・茂道地区出身で、漁師だった祖母と両親は認定患者。祖父も劇症型水俣病とみられる症状で亡くなった。幼少期からほぼ毎日魚を食べ、海が汚染された後も活きのいい魚介類が食卓に並んだという。幼少期からこむら返りなどの症状があったが、周りに劇症型や胎児性・小児性の患者が多くいたことから「自分が水俣病だと思ったことはなかった」。

 1994年、父に勧められて初めて検査を受けたところ、「水俣病の疑い」と診断された。同年、県に患者認定を申請したが棄却。95年の最初の政治決着による救済策からも漏れた。現在、3度目の認定申請が棄却されたことに対して、国に不服を申し立てている。

 2004年の関西訴訟最高裁判決で手足先の感覚障害のみでも水俣病と認めたことを受け、被害者互助会の9人が07年、国や県、原因企業チッソに損害賠償を求めて提訴。14年の熊本地裁判決で、佐藤さんを含む3人はメチル水銀が原因の感覚障害があるとして水俣病と認定された。現在続く福岡高裁での控訴審は来年1月に結審する。

 幅広く水俣病と認める司法判断が相次いでいるが、複数の症状の組み合わせを原則とする国の認定基準が変わらない中、15年には同会の7人が、熊本、鹿児島両県に認定義務付け訴訟を起こし、同時並行で闘っている。

 佐藤さんが訴訟を始めてから10年以上の歳月が流れ、手足のしびれやこむら返り、針で刺すような痛みはひどくなる一方だ。体が疲れやすくなり、ミカン栽培の仕事も頻繁に休憩しないと続けられないという。

 こうした胎児性・小児性の病像は医学的に未解明な部分が多い点を踏まえ、「行政はその場しのぎの都合のいいことばかり主張している。調査・研究に基づかない、棄却ありきの審査は間違っている」と不信感を募らせる。 (村田直隆)

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