「最西端」に宿る記憶 たびら平戸口駅

西日本新聞 佐賀版長崎・佐世保版 福田 章

松浦鉄道 ひと巡り(6)

 平戸大橋に最も近いたびら平戸口駅。駅舎入り口の右手に「日本最西端の駅」の石碑が立つ。1961年4月の昭和天皇巡幸を記念し、翌年に建立された。

 揮毫(きごう)した藤浦洸さん(1898~1979)は長崎県平戸市出身の詩人で、日本作詞家協会の2代目会長を務めた。終生、故郷を思い続けた人なので、万感を込めて7文字をつづっただろう。平戸大橋がなかった時代、船で往来した平戸瀬戸を詩心によみがえらせながら。

 35年8月、国鉄伊万里線が志佐駅(現松浦駅)から西へ15・6キロ延伸した際に開業。89年3月に現駅名に改称するまで、平戸島への玄関口を前面に出した「平戸口駅」だった。那覇市にモノレールが開業してから「本土最西端」と呼ばれることが多いが、西端の駅が醸す旅情は旅行者を引きつけてやまない。

 駅務係として発券業務などを担う平戸市田平町出身の高橋健二さん(65)にとって、ここは高校の最寄り駅だった。当時住んでいた長崎県松浦市の調川(つきのかわ)駅から乗車し、平戸口駅で下車。徒歩約10分の平戸口桟橋から、フェリー「あさしお」や「うずしお」で平戸島の猶興館高校に通った。もう50年前のことだ。

 「調川駅から、魚の行商のおばさんたちも乗ってきて大にぎわいだった。まだ蒸気機関車だったので、車内は煙と魚のにおいが混ざり合い、独特の雰囲気だった」。69年10月、長崎国体の相撲競技観覧のために平戸へ向かう昭和天皇を平戸口桟橋で見送ったのも、懐かしい思い出だ。

 かつては、レールのない平戸桟橋の待合所に「平戸駅」があった。フェリーを運航していた平戸口運輸が国鉄から業務委託を受け、国鉄全線の切符を販売し、貨物を取り扱っていた。

 列車の運転士になりたかった高橋さんは、福岡市や平戸市での会社員生活などを経て2012年、ようやく松浦鉄道に入社した。夢のかけらを握りしめたままの少年のように、たびら平戸口駅の構内にある「鉄道博物館」の展示物について語る。

 「一つ一つが鉄道マニアの興味を満たすようだ。Nゲージ(鉄道模型)のスイッチを入れて、しばらく遊んでいく人もいる。鉄道の歴史は別な記憶を呼び覚ますのでしょう」

 列車の行先表示板、木製の時刻表、制帽、硬券の切符、レール、保線作業の道具、古い写真。どれもが、駅に宿る記憶を形づくる細胞のように見える。

 (福田章)

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