山里にて鮮魚さばく 有田駅

西日本新聞 佐賀版長崎・佐世保版 古賀 英毅

松浦鉄道 ひと巡り(10)

 伊万里湾に程近い伊万里駅(伊万里市)から内陸に入り、山々に囲まれた有田駅へ。ここが松浦鉄道(MR)の東の終点。焼き物の町・有田の中心にある駅の近くに「大曲鮮魚店」は戦後まもなく開業した。

 山里に鮮魚-。その組み合わせを可能にしたのは鉄路だった。

 「戦中から列車に乗って伊万里で魚を仕入れ、有田で行商をしていた」。店の代表を務める大曲重仁さん(67)は母親のスミさんから、そう聞いた。

 伊万里-有田間は、伊万里鉄道が1898年に開業。有田の焼き物を伊万里の港に運ぶ狙いがあったという。だが、開業1年前に有田が武雄と鉄路で結ばれ、船を使わずに全国輸送が可能になった。伊万里の鮮魚を有田へ。もう一つの開業目的は生きた。

 大曲鮮魚店は重仁さんの父親の重雄さんが1946年にニューギニアから復員し、まもなく開いた。列車で鮮魚を運んだという。

 ただ、52年生まれの重仁さんに、鉄道と魚がつながる記憶はない。小学生のころ伊万里の魚市場での仕入れについていった。すでにトラック。モータリゼーションが急速に進んでいた。

 高度成長期を迎えた60年代、有田駅前は窯業工場の従業員たちであふれかえっていた。「夕方になると、お客さんが次々に入って、人垣ができるような感じだった」と重仁さん。レジ代わりのザルに現金が出入りするのを眺めていた。

 時を経て、駅前を歩く人は減った。町外のホテルや料亭にも魚を卸すようになった。2001年には伊万里の魚市場が閉鎖されたため、約30キロ先の長崎県佐世保市の市場にトラックで出向く。

 それでも伊万里とのつながりは切れない。有田町内の高校は有田工のみ。普通校などを希望する子どもたちは町外の高校に通う。

 重仁さんも長男の耕平さん(30)も伊万里の高校に通った。3年間、伊万里-有田間を行き来した。耕平さんは「高校生のための鉄道だと思っていた。うちの商売にも関係していたとは…」。

 店で働く耕平さんは、いずれ3代目として家業を継ぐ。昔と変わらず、お客さんの注文があればショーケースの魚をさばく。「対面販売を増やしたい。駅前に店を出した祖父の思いをつなぎたい」

 店から一歩外に出れば駅のベルが聞こえる。きょうも列車が往来し、また人は巡り行く。 (古賀英毅)

 =おわり

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