戦争と壱岐 伝える資料館 出身の本城さん、芦辺町に開設

西日本新聞 長崎・佐世保版 田中 辰也

 壱岐市の北東部、芦辺町箱崎諸津触(もろつふれ)地区に、太平洋戦争にまつわる品々を展示する私設の歴史資料館がある。軍隊への入隊を命じる臨時召集令状、軍人が身に着けたゲートル、水筒、飯ごうなど約250点を展示。名もなき小さな資料館は農漁業が中心だったこの島の人々も、戦争と深く関わったことを物語る。

 地元出身で大阪市在住の本城満征(みつゆき)さん(77)が、戦死した父の西千秋さんを思い、戦争の怖さや平和の尊さを感じてもらおうと2009年に開設した。旧陸軍の衛生兵だった父は終戦を前にフィリピンの山中で餓死したと聞いた。出征時は幼かった本城さん。顔もかすかにしか覚えていない父のことが「ふびんに思えてならなかった」と言う。

 資料館開設の4年前には、地区から出征し亡くなった15人の名前や戦死した場所を刻んだ石碑を資料館のそばに建立。戦後70年の年には島出身の犠牲者全員を弔う碑も建てた。その年に行った慰霊祭では遺族ら約100人が参列する中、本城さんの中学1年の孫が「二度と戦争がないよう、平和のありがたさを話していきます」と、曽祖父に宛てた手紙を読み上げた。

 資料館に置かれた見学者が感想を書くノートにこんな書き込みがある。「世の中がおかしくなっていく前にいま一度、過去の道を振り返ってみることの重要さに気が付きました」

 本城さんは戦争がもたらした被害、心の傷をきちんと伝え、学んでもらうことが大切だと考えている。

      ◇

 資料館がある一帯の土地は本城さんが所有しているが、みんなの祈りの場にしたいとの思いから資料館は無料で開放。石碑へも自由に立ち寄れる。

 

漁船も徴用、犠牲に 悲痛な心情伝える手紙も

 太平洋戦争下、あらゆる資源を統制する権限を政府に与えた「国家総動員法」によって、軍人や弾薬を輸送するため多くの民間船舶が徴用され、船員たちが命を落とした。壱岐の漁船「箱崎丸」もそうだった。

 壱岐市芦辺町を拠点とした箱崎丸は1941年12月、乗組員ごと徴用された。船長が戦地から地元漁協に宛てた手紙のコピーが箱崎諸津触地区の歴史資料館に展示されている。フィリピンで戦病死した航海長、小嶋福市さんのことが丁寧につづられている。

 <遺言で(私に)子どもを頼むと聞かされた時には泣かされました><船員として雇い入れ、きょうまで本当にまじめに務めてくれたことを思い出せば目頭が熱くなります>

 7枚の紙にびっしりと書かれた文字からは、乗組員を失った船長の悲痛な心情が伝わる。6~7人いたとみられる乗組員のうち、体調不良などで戻った人以外は帰ってくることができなかった。乗組員によると、漁船には機関銃が据え付けられ、軍人3~4人が乗船していたという。壱岐に戻った乗組員は戦後、「機関銃を撃つ音がパンパンと聞こえ、恐ろしかった」と話していたという。

 航海長、福市さんの甥(おい)、忠男さん(89)は箱崎丸が出港したときは小学生。「今にして思えば、乗組員はみんな戦地には行きたくなかったのだと思う」。そう語った。(田中辰也)

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