聞き書き「一歩も退かんど」(30) 新聞に初めて「冤罪」 志布志事件冤罪被害者 川畑幸夫さん

西日本新聞 オピニオン面 鶴丸 哲雄

 自殺未遂者が出るほど過酷な取り調べが続いた志布志事件。保釈された人や家族が真相を語り始めると、とんでもない人権侵害が次第に分かってきました。そこで支援に立ち上がったのが、鹿児島県志布志市の住職一木法明さんです。

 きっかけは、一木さんの寺の檀家(だんか)だった谷田則雄さんからの救いを求める電話でした。谷田さんは2人暮らしの父がぜんそくで入院し危篤に近い状態の中、取り調べでうその自白を強要されていたのです。

 最初は半信半疑だった一木さん。ほかの被害者の証言を聞き、谷田さんの訴えが真実と確信します。そして2003年8月27日、「住民の人権を考える会」を発足させたのです。

 起訴されて拘置所にいた谷田さんは「会えないが、父は生きているだろうか」と案じ、新聞の死亡欄を確認する日々でした。その新聞の片隅に、一木さんが会長を務める「考える会」発足の記事を見つけ、生きる希望になったそうです。

 この会の発足は、谷田さんのみならず、志布志事件の被害者全員に大きな助けになりました。私たちは徒手空拳で権力の横暴と闘っていましたが、心ある市民の方々が「人権侵害の捜査を改めよ。長期勾留中の被告を釈放せよ」と、声を上げてくれたのですから。

 そして同年9月3日朝、西日本新聞鹿児島版の見出しを見て、私と妻の順子は大喜びしました。「12人中9人が『冤罪(えんざい)』/県議選曽於郡区選挙買収事件」。私のホテルでは当時、新聞全紙を取っていましたが、志布志事件で見出しに「冤罪」と出たのはこれが初めてと記憶します。

 記事は、9人が冤罪を訴え、国選弁護人解任など混乱が続く裁判の内幕ものでした。執筆者は東憲昭記者。ひょろっとしていますが、どんな相手にも臆せず早口で質問を放ちます。「ようやく新聞も動き始めた」と、勇気が湧きました。

 この日はちょうど志布志事件の第5回公判日。午前8時半、私のホテルに家族や支援者が集合し、バスで鹿児島地裁に出発します。私と妻は大急ぎで記事を50枚コピーして配りました。それを見て、皆が一気に元気になりました。

 そしてこの日の公判では被告3人が自白を撤回し、逮捕された12人全員が否認で足並みをそろえたのです。この頃から、わが「ビジネスホテル枇榔(びろう)」ではコピー機が壊れるほどフル回転し、闘争の前線基地みたいになっていきました。 (聞き手 鶴丸哲雄)

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